橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

飯野亮一『居酒屋の誕生──江戸の呑みだおれ文化』

これは、居酒屋に関する初の本格的な歴史書といっていい。断片的な情報を集めたものではない。江戸期の文献を幅広く渉猟し、江戸期における居酒屋の全体像を描いている。これはひとつの偉業である。
居酒屋の起源についてしばしば言われるのは、江戸は労働者など独身男性の多い都市だったので、調理した料理を売る煮売屋という商売が繁盛し、ここで酒も出したところから居酒屋が生まれたというものである。誰が言い出したか分らないが、しかし実際には、河豚や鰻、魚料理や薬喰いなどを専門とする料理店が酒を出したこともあったはずだし、また酒屋が店先で飲ませることもあったはず。煮売屋が唯一の起源であるはずはない。
これに対して本書は、膨大な文献や作品を読み解きながら、江戸における居酒屋の多様な起源と、そこにおける料理の内容から営業時間、酒の供し方に酒飲みの作法、出入りした人物像や雰囲気にいたるまで、細密画のように描き出す。絵入りの文献が多く引用されていて、これを見ているだけでも楽しい。叙述は基本的に江戸時代に限定されているが、これだけの偉業を達成するためには、やむを得ないところだろう。
モノクロ印刷なのが、まことに惜しい。もとがモノクロの文献が大部分だろうけれど、カラー写真で雰囲気まで味わってみたい絵がたくさんある。とくに飲食店番付など、大きな写真でじっくり見てみたい。全体の分量を減らして、カラー版を作って欲しいものである。