橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

地酒ブームと酒ジャーナリズム

classingkenji2014-10-01

一九七五年ごろから始まった地酒ブームをさらに加速したのは、酒ジャーナリズムともいうべきスタンスを前面に出した、一連の出版物だった。その始まりは、稲垣眞美の『ほんものの日本酒選び』(三一書房・一九七七年)である。
この本は、稲垣の個人的なエピソードから書き起こされる。三年前というから、一九七四年のことだろう。
京都の小料理屋で、家業の酒蔵を営む友人と酒を飲んでいた稲垣は、この友人が指定して飲ませてくれた酒の味に驚く。「サラリとした感触で、いくぶん甘口かなとは思ったが、糖分の甘さでなく、自然の旨みという感じがした」。聞くと、米一〇〇%で造った酒で、純米酒と呼んでいるという。不思議に思った稲垣は、日本酒はみんな米から造るのだろうと問う。これにたいして友人は、米だけから作っていたのは戦前の話で、今では大部分の日本酒は、アルコールや糖類を大量に混ぜて造られている。しかし最近になって良心的な蔵元の間に、こうした現状に対する抵抗の機運が生まれていて、純米酒造りのグループができたのだという。
これをきっかけに日本酒業界に関する取材を重ねた稲垣は、日本酒造りの実態を暴いていく。ただし後述するように、これはあくまでも七〇年代当時の話であることに注意しよう。当時あった酒蔵は、全国で約三〇〇〇。しかし上位一〇位に位置する灘と伏見の酒蔵が、出荷量の三五%までを占めている。ところが大手が出荷する酒は、各地の中小の酒蔵から酒を買い集め(これを「桶買い」という)、自社で造った酒にブレンドしたものである。国税庁の部内秘資料によると、出荷量のうち桶買いされた酒の比率は、大手酒蔵の多くで六割から八割にも達していた。
しかも大手酒蔵は、中小酒蔵が自前のやり方で造った酒を桶買いしているわけではない。作り方を細かく指定している。伏見のある大手の酒造要領によると、アルコール二〇%の酒の場合で、日本酒度はマイナス八・〇から九・五、酸度とアミノ酸度はともに一・九から二・一、酸度不足の場合はコハク酸、乳酸を等量使用して調整する、精米歩合は平均七五%以下、仕込み温度は一七度から一九度、酒母は協会七号または六号、増醸酒の場合に添加する調味液の配合は、白米一〇〇〇キロリットルあたりで、ブドウ糖一二〇キログラム、粉あめ二五〇キログラム、グルタミン酸ソーダ五〇〇から八〇〇グラム、といった具合である。
稲垣は「大手酒蔵の酒がまずくつくられる手の内が、この指令書でまざまざと示されている」という。そして地方の小さな酒蔵には、良心的な造りをしている名酒がたくさんあるから、こうした酒を求めて飲もう、と呼びかけた。それが本書の後半の、「現代の名酒ベスト・テンを選ぶ」を中心とする名酒紹介である。ここでは稲垣が選んだ全国の名酒が、東の横綱が越乃寒梅、西の横綱が西の関、以下、大関が白鷹、浦霞、招徳、梅錦、関脇が初孫、加茂泉、というように相撲の番付風にランキングされていた。これによって越乃寒梅の「名酒」としての地位は不動のものとなり、他の酒も今日に至るまで、各地の代表銘柄として知られるようになっている。本書がベストセラーになったのは、日本酒の実態暴露よりは、この名酒リストによる部分が大きかったと思われる。
しかし、これに続いて何人かのジャーナリストが、酒類業界を扱った暴露本を出版していく。なかでもインパクトの大きかったのは、日本消費者連盟編著『ほんものの酒を!』(三一書房・一九八二年、執筆は船瀬俊介)だろう。ここでは日本酒に加えて、ウイスキーがやり玉に挙げられた。戦前から戦後にかけてのウイスキーが、無味無臭のアルコールにごくわずかの原酒を加えたもの、場合によっては原酒は皆無で着色・着香したものだったことについては、二〇一二年一一月号で紹介した。本書もこの時代のウイスキーを例に出して「戦後の哀しさ」と評するのだが、そのすぐ後で、独自に入手したという「極秘資料」に基づき、国産ウイスキーには、大量のアルコールを加え、リキュール、甘味果実酒を添加したものがあると断じたのである。
二年後には続編も出版され、さらに類書の出版も相次いだ。多くの書は、日本の酒税法における級別制度の不合理性を指摘し、国税庁は酒の品質よりも税収確保を優先していると激しく告発した。ここに来て酒は、社会派ジャーナリズムの格好の標的になったのである。
これらの告発に、行き過ぎがなかったわけではない。純米酒はたしかに美味いが、すべての純米酒が美味いわけではない。糖類や酸味料の添加で味を変えてしまうのはともかく、アルコール添加が香味を向上させる場合があるのも事実だろう。しかし級別制度の不合理性は明らかだったし、各地から買い集めた酒をブレンドして「灘の名酒」「伏見の名酒」として売るというのは、やはり消費者の目からは納得しがたい。
そして今日から見ると、その後の日本の酒類業界は、結果的にはこうした批判に答える方向へ進んできたといっていいだろう。
等級と品質が合致しないと、批判を浴びてきた日本酒の級別制度は、一九九二年に廃止された。以後は普通酒特定名称酒の区別が基本となり、消費者は酒を選びやすくなったといえる。そして近年は、日本酒の出荷量に占める特定名称酒の比率には大きな変化がないものの、本醸造の出荷量が急減し、純米酒の比率は増加傾向にある。適切に表示されていれば、純米酒を選ぶ消費者は多いのである。また普通酒でも、酸や糖類は添加せず、アルコールの比率を低くするなど、質の高いものが増えており、一部の安価なものを除けば、「甘くてべたべたする」「アルコールの臭いがツンと来る」などという、かつての批判があてはまるような酒は少なくなった。
桶買い・桶売りは、以前に比べれば大幅に減少している。二〇一二年の統計によると、日本酒の課税移出数量が五九万二六九三キロリットルであるのに対して、未納税移入数量(つまり桶買い)は六万八九四六キロリットルで、比率は一一・六%に過ぎない。最大の生産地である兵庫に限ると二一・二%でやや高いが、大きな比率とはいえない。しかも兵庫の場合、未納税移入を上回る未納税移出があり、桶買いする以上に桶売りしていることになる。七〇年代とは様変わりしたといっていい。
ウイスキーに関しては、一九八九年に級別制度が廃止されている。関税が引き下げられたこと、旧特級ウイスキーの酒税が大幅に下がったこと、円高が進んだことなどから、スコッチをはじめとする輸入ウイスキーの価格が下がり、日本人の飲むウイスキーは多様化した。これにともなって日本のウイスキーメーカーも、シングルモルトや長期熟成酒など、高級スコッチによくあるタイプへのシフトを強め、品質は向上していった。
稲垣眞美はその後、『ほんものの名酒百選』『現代の日本酒二百選』『日本の名酒』など、各地の優れた酒を紹介する本を立て続けに出版し、多くの読者を得た。大学を卒業し、日本酒にしたしみ始めたばかりだった当時の私にとって、これらの本は、いつもカバンに入れて持ち歩き、ときどき取り出しては読むバイブルのような存在だった。
大手の桶買い、アルコール・糖類添加、級別制度などを批判してきた酒ジャーナリズムは、その使命の多くを果たした。これに代わって、酒の造りや造り手、これを支える風土、そして酒の味そのものを論じる、本格的な日本酒批評が盛んになっていくのである。