橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

大衆酒場「酒の高橋」

禁酒明けには一日早いのだが、まあいいだろうというわけで自転車に乗って世田谷へ。ここでいう世田谷というのは、世田谷区世田谷。世田谷区の中心部で、世田谷区役所のある界隈のこと。私の自宅から自転車で十分少々のこのあたりは、東急世田谷線というほとんど路面電車並みの小さな電車が走るだけで、小田急線からも東急田園都市線からも距離があり、ほぼ地元民しか知らない場所。ここに知る人ぞ知る「酒の高橋」がある。
江戸時代からある本来の山の手を「都心」と呼んで別扱いにすれば、山の手の典型ともいえる世田谷にあって、ここは下町大衆酒場の雰囲気をとどめる貴重な店である。サッポロ黒ラベルといっしょに出てきたお通しは、厚揚げとわらびの煮物。ごま油で炒めたあと、甘辛くじっくり煮込んだその味は、数十年前に食べたわが家の味そのものだった。次に、刺身の三点盛りをいただく。今日はかんぱち、まぐろ、そして意外にも鯨。天然と銘打ったかんぱちは脂が乗りながらも澄んだ味。瑞々しい鯨の赤身は、まぐろのように軟らかく、しかも滋味がある。まぐろは、おそらく本マグロのぶつ切り。ビールのあとはホッピーをいただき、注文したのはポテトサラダ。大きめに切ったジャガイモと、キュウリ、にんじん、玉葱が入ったほっとする味で、しかも量がある。散歩のつもりだったが、かなり食べた感じがする。
客は、大部分が地元の六十代男性の一人客で、ドレスシャツが三人とポロシャツが二人。普通の身なりだが、何となく清潔感がある。そのほかにTシャツ姿と外出着の六十代夫婦が一組。帰り際にスーツにネクタイ姿の三十代男性が入ってきた。よく話す常連客が一人いて、店の人や周囲の客がときおり応じる。話題は、高専生殺人事件の顛末など近頃の気になる事件のこと、このあいだ近くに来たという小宮山洋子代議士のこと、そして魚の仕入れやニンニクの食べ方についてなど。たわいもない話題だが、声高でも押しつけがましくもなく、和やかな雰囲気である。
ちなみに、厚切り刺身がずらりと並ぶ刺身三点盛りは六百円、ホッピーセットは四百二十円、中身のお代わりもホッピー単独も、ともに二百十円である。ビールは大瓶が五百五十円。かなり下町価格に近いといえよう。金宮の一升瓶がボトルキープできるのだが、自転車じゃないと通えない距離なので、迷うところだ。常連になりたい店ではある。思い切ってボトルキープしてしまい、せっせと通うことにしようか。(2006.9.8訪問)