橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

日本酒場通史 『酒場の誕生』 

編者は、酒食についてのエッセイで知られ、長野県で農場とワイナリーも経営する玉村豊男。執筆陣は海野弘森下賢一枝川公一など。なんといっても、冒頭におかれた海野弘の「江戸の酒場繁昌記」が圧巻である。八世紀半ばにはすでに酒場らしきものがあったこと、さらに遡り、スサノオ伝説には酒場の原型が暗示されていることなどから説き起こし、狂言に登場する室町時代の酒場、そして江戸の屋台の酒売りと煮売り屋を嚆矢とする酒場の発展まで、古代から江戸期までの酒場の変遷を描き出している。これに神崎宣武の「江戸から明治へ」を加えれば、前近代の酒場の歴史が概観できる。
こうして盤石の出発点が与えられているから、洋風酒場の発展、焼け跡の酒場、そして現代の酒場文化までを扱ったそれぞれのエッセイは、酒場の歴史をそれぞれに扱ったものとして、理解しやすい。結果的に本書は、古代から近現代までを扱った、希有ともいえる酒場通史となった。個人的には、闇市からゴールデン街の発展までを扱った森田暁の「焼け跡にはじまる新宿の酒場」が印象深い。
下町の大衆酒場については、植田実の「酒を飲む時間と空間」が興味深い。滝田ゆうの名作『泥鰌庵閑話』を「酒を飲むことに関して、これ以上のすぐれた記録を、私は知らない」と評し、その一ページを示しながら「酒を飲む空間のすぐれた記録となっている」とする。この漫画は私の手元にもあるが、昨日紹介した『下町酒場巡礼』とセットで読むとおもしろい。いまは遠い、おそらくは下町酒場文化全盛期の記録だからである。

酒場の誕生 (酒文選書)

酒場の誕生 (酒文選書)