橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

阿部健『どぶろくと女』

著者は酒のマーケティングと酒文化の普及に、長年携わってきた人物。その経験と蓄積に加え、退職後の十数年を費やして資料・文献を渉猟し、まとめたのが本書である。全六二九ページ、目次だけでも一二ページという大冊だ。
記述は縄文期に始まり、万葉の時代を扱った第二章「歌垣の男女」で、最初の山場を迎える。歌垣とは、古代の男女が配偶者を得る目的で野山や水辺に集まり、求愛の歌を交わした集まりである。集まった男女が酒を酌み交わし、舞い歌い、時にはそのまま結ばれる。何とおおらかで、自然な酒宴の形であろう。著者はこれが、女性飲酒の出発点だという。
ところが九世紀頃、集権化が進むとともに社会は男性中心の性格を強める。歌垣は禁圧され、女性は酒宴から排除されていく。とはいえ庶民の女性は、その後も酒を楽しんでいた。飲まれていたのは、主に濁酒(どぶろく)である。濁酒は容易に手作りでき、美味い上に栄養がある。食生活の欠かせない一部であり、これを労働の後で飲むには、男も女もなかったのである。
酒の歴史に関する書物に親しんだ経験のある人は、意外に思うかもしれない。多くの書物には、江戸時代までの庶民が酒を飲んだのは、ほぼハレの日に限られており、独身男性が多かった江戸の町だけが例外的に、日常的な飲酒習慣を発達させたと書かれているからである。しかし考えてみれば、この説には無理がある。濁酒はハレの酒ではないし、断片的ながら残された記録からは、女性を含む農民たちが、日常的に濁酒を飲んでいたことがうかがえるからである。ここに著者は、これまでの酒文化研究の男性中心・中央中心の偏向が現れていると示唆する。
女性が酒から切り離されたのは、明治政府が酒に重税を課し、自家醸造を禁止してからである。女性の手から、濁酒が奪われたのだ。男性は外で酒を飲むことができたが、知識人や芸妓など一部を除き、女性は酒に親しむことが少なくなった。男性中心の社会構造と、理不尽な自家醸造禁止の結果である。
高度成長以後になると、社会進出と地位向上を反映して、女性の飲酒が一気に復活した。いまや酒の上での男女平等は、ほぼ回復されたといっていい。しかし、失われた濁酒文化の復活は、これからである。濁酒づくりの自由化を、そして「二十才になったら、濁酒をつくろう」と呼びかける著者の訴えは、数千年にも及ぶ濁酒文化を、名もなき庶民たちの生活とともに描ききった後の結論だけに、実に説得力がある。
酒文化研究に一石を投じた快著で、今後酒の歴史についての著作は、本書を無視しては書くことができない。とはいえ、酒好きの読書人としては、盃片手に読むのがいちばんだろう。

どぶろくと女―日本女性飲酒考

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