橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「養老乃瀧 要町店」

classingkenji2014-01-05

これから時々、「居酒屋の戦後史」と題して、ちょっと長めの記事を書くことにしたい。
新年早々から、というわけではなく、去年の暮れのこと。近所の養老乃瀧に行ってみた。
養老乃瀧の前身にあたる富士食堂が松本市駅前に開業したのは、一九三八年のこと。創業者は、木下藤吉郎。もちろん偽名で、本名を矢満田富勝という。一九二〇年生まれだが、まだ死去したという情報はないので、九三歳でご存命のはずである。農家の息子だったが、大阪への出稼ぎで資金を貯め、食堂を開業した。持ち前の才覚で一時は長野県内に一〇〇店舗以上を構えるまでになったが、手を広げすぎて経営不振に陥る。事業をいったん手放して横浜市に移り、養老乃瀧一号店を開業したのは、一九五六年のことだった。
一号店はたちまち評判となり、矢継ぎ早に横浜市内に店舗を展開、翌年には東京進出を果たし、さらには関西にも進出。六五年には、当面の目標だった一〇〇店舗を達成する。当時、養老乃瀧は食券制だった。飲み屋はツケが普通の時代である。ツケがきくと、客は酔った勢いで過大な注文をしがちだが、現金前払いだから安心して飲むことができる。またツケで成り立っている飲み屋の場合、納入業者は早くても翌月にならないと現金を手にすることができないが、養老乃瀧は前払いの食券制だから、現金仕入れができる。これが歓迎され、取引業者は安く納入してくれるようになった。これがさらに、競争力を強めることになる。
当時の様子が雑誌記事に紹介されているが(『週刊朝日』六五年五月一四日号)、精神主義と軍隊的な規律、そして合理主義が入り混じり、いまから見ると異様である。本社に入ると、文字が目に飛び込んでくる。いわく、「この会社は日本一給料が良く日本一早く出世ができます。/この会社は、親孝行と勤勉の修養道場です」。傍らには二宮金次郎銅像、奥には金ピカの仏像があった。朝はまず南無妙法蓮華経の勤行、次は軍隊式の朝礼。社員には階級があり、大元帥の社長を筆頭に、大統帥、中統帥、小統帥、大勲位、中勲位、小勲位、大功位、中功位、小功位、大隊位、中隊位、小隊位、と続く。昇格にあたっては、学歴・性別など無関係に、実力主義を貫いていたという。
フランチャイズ方式を開始したのは、六六年である。フランチャイズ方式はまだ珍しく、現社長の野村幹雄によると、社員たちは「看板を買ってまで商売をする人はいない」と、社長の方針に懐疑的だった。しかし予想に反して希望者が殺到し、わずか八年後の七三年には一〇〇〇店を突破する。
どのような人々が、フランチャイズに応募したのか。『養老乃瀧 大衆商法の秘密』(田中直隆著、一九七四年)には、三〇〇人ほどの支店経営者の前職が掲載されている。これによると、中華・食堂などの飲食店関係者が六〇人と多いのは当然として、会社員が八四人おり、洋品店などの繊維関係が二五人、スーパー、青果、酒店などの小売店が二九人、さらには不動産業、公務員、国鉄職員など幅広い。セントラルキッチン方式を採用していたから、板前は必要なく、短期間の研修で開業できた。必要な資金はというと、一〇坪の店舗の場合で、一一二万五〇〇〇円の加盟料と四〇万円の保証金を含め、約四〇〇万円。当時は加盟料だけでロイヤリティを取っていなかったため、利益率は高かった。
当時の日本では、農業従事者は減少していたが、それ以外の自営業者は増加を続け、分厚い自営業セクターが維持されていた。これが日本の雇用を下支えし、完全雇用を実現していたといってもいい。現在、日本では自営業セクターが急速に縮小し、一定規模以上の企業以外では、まとまった雇用が生み出されていない。このことが若者たちの就職難とフリーターの増加の原因でもある。これに対して当時は、企業セクターと自営業セクターが共存共栄し、全体として高度成長を支えていた。独立開業するルートが存在し、また多くの人々がそれを求めていた。養老乃瀧は、高度成長期の企業に働く人々の憩いの場となり、また独立を求める人々に、比較的容易に参入できるルートを提供していたといっていい。
一〇〇〇店を突破したあとは、目標二〇〇〇店を掲げていたが、最近の店舗の看板には「目標五〇〇〇店」となっていることが多い。二〇〇〇店を突破したことはないはずだが、一時期はこれが目標だったらしい。正確には分らないが、現在は一〇〇〇店を切っているのではないかと思われる。
巨万の富を築き上げた藤吉郎社長は、五〇歳で引退。信州と大田区に、それぞれ数十億円かけて宮殿風の住宅を建て、悠々自適の生活を送った。大田区の自宅はすでに取り壊されたが、信州の方は所蔵する無数の金製品とともに、「信州ゴールデンキャッスル」として公開されている。成金趣味もここまで徹底すれば立派といえよう。
というわけで、久しぶりの養老乃瀧である。メニューはずいぶん増えたが、大瓶四三〇円の養老ビール、二八〇円の枝豆など、安価なメニューは健在。フランチャイズならではの独自メニューもあり、この日は三八〇円で赤貝のヒモをいただいた。時代の先端からはほど遠いが、この安心感には得難いものがある。

豊島区要町 1-18-1
17:00〜23:30 無休