橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

三軒茶屋「小桜」

classingkenji2007-10-06

一般的にいってヤミ市横丁には、名酒を売り物にする店は少ない。場所柄、「高いけれど美味い酒」というのを求めてくる人は少ないだろう。少々薄汚れた哀愁漂うヤミ市横丁、古びた居酒屋の佇まいには、安酒とモツ焼き、それに普通の居酒屋料理が似合う。もちろん、地酒の一つや二つ置くのは今の居酒屋には当たり前だし、本格焼酎が花盛りの時代でもある。ヤミ市横丁の店だって、数種類程度置くのは普通のことだ。しかし、あまり知られていない名酒を探し出して客に供するような店は、ヤミ市横丁にはあまり見かけない。しかし、この店はそういう店だ。看板には「純米酒の店」と書かれ、酒へのこだわりが感じられる。かといって、決して気取った店ではない。店内には、数々の日本酒のラベルとともに、サッカーチーム名の書かれたマフラーが貼られている。私が店に入ったのは、ちょうど巨人が優勝を決めた直後で、客はテレビに見入っていた。「あ、決まったんですか」と聞くと、ご主人が「そうなんですよ」と応じる。客の一人が「どっかのファンですか」と尋ねる。「いや、私はとくに」と答えると、「ああ、よかった。野球の話題ってのは難しいからねぇ」と笑う。正直言って、あまり入りやすい感じの店構えではないのだが、すぐにうち解けられる雰囲気がある。「何か、石川県の酒を」と注文すると、出されたのは奥能登の「竹葉」純米酒。美味い。お客さんたちと時々言葉を交わしたり、テレビのニュースに目を向けたり、そしてしばし味わったり。肩の力を抜いて楽しむことのできる酒場に、良い酒がある。二杯目は、珍しい「田酒」の山廃仕込特別純米。「初めて見ました」「そうでしょ、なかなかないんですよ」。お通しと料理一品、そしてうまい純米酒が二杯で、お勘定はわずか一八〇〇円。ヤミ市横丁の奥に、またいい店を一軒見つけた。