橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「銀座ライオン 銀座七丁目店」

classingkenji2007-04-16

久しぶりの、昼の銀座ライオンである。着いたのは午後四時過ぎだが、満席で少し待たされた。とはいっても、客の回転は速く、二−三分ほど。まずはいつもの通り、生小グラスを注文。四三〇ミリリットルの小グラスは、五八〇円。私がこの店に通い始めた二〇年前には、確か四九〇円だった。口元がやや広く、少しずつカーブしながらすぼまっていくこのグラスは、飲みやすく、ビールの色に映える。ほぼ同じ形だがやや小さめのグラスは、恵比寿麦酒記念館で買うことができるが、これを使ってみると、きれいな泡を作りやすい、理にかなった形状であることが分かる。その後は、ヱビスビール、エーデルピルスなどをいただく。
ここが東京一のビアホールであることは、多くの人が認めるだろう。今日は週末だけに、客はほとんどがおしゃれな外出着か、カジュアル姿。一目見て気づくのは、中高年の夫婦が多いことだ。週末に銀座へ出かけ、買い物をしてからライオンで食事をする。このライフスタイルは、戦前から続く山の手新中間階級のもの。親子もいる。六〇代の父親と、息子夫婦。五〇代の女性四人組は、おしゃべりに余念がない。高齢男性のグループ客も何組かいる。同期会だろうか、昔話に花を咲かせている。
この店には、人をノスタルジーに引き込む力がある。自分の過去、銀座の過去、東京の過去。煤けた天井と古びながらも色鮮やかなタイル絵を見ていると、近現代史の厚みというものを感じる。人の姿は変わったが、この建物と内装は、七四年前から変わっていないのだ。だからこそ、こんなエピソードも生まれてくる。

銀座ライオン物語
帰り際に老夫婦の奥様が涙を流して「今日は本当にありがとうございます。今晩六〇年ぶりに父に会えました」と言われました。良く話をお伺いしてみると、昭和一九年に南方へ出征する父と最後の晩にあそこのテーブルで、父は大ジョッキ、私はリボンオレンジを召し上がったそうです。
それが父との最後でした。遺骨はなく、ガダルカナルの砂だけが帰ってきました。ずっとこのビアホールの思い出を胸に生きてきました。今日は勇気を出して主人にここへ連れてきてもらいました。そうしたら六〇年前と何も変わらない壁画、風景、雰囲気に感動して、まさにあのときの父に会えました。本当にありがとうございましたと。
たまたま伝えていただけたこのお話、こういっていただけるだけで私たちは幸せです。

苦言を一つ。泡の粒が、やや大きく、すぐに消えてしまう。いつもはもっと、ビールの泡持ちが良かったはずだ。ビール注ぎ名人の海老沢さんもいるのだが、客が多いだけにすべてを自分で注ぐことはできないのだろう。こういう店のビールの注ぎ手は、終身雇用の正社員としてきちんと育ててほしいものである。(2007.4.14)