橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

自由が丘「鳥へい」「金田」

classingkenji2007-01-29

自由が丘の東京書房へ、ネットで予約していた本を取りに行く。『東京路上細見』全五巻が五〇〇〇円。神保町あたりだと一冊一五〇〇円ほどで売っているから、割安である。そういえば去年、自由が丘へ来て「金田」へ行ったのも、東京書房の帰りだった。しかし今日は、もっと大衆的な店へ行きたいと思っていたので、前回から気になっていた「鳥へい」に入ることにする。二階もあるが、私が座った一階カウンターは、カギ型で一二席ほど。ビールはサッポロ。ラガーもあるらしいが、「瓶ビール」と言ったら黒ラベルが出てきた。これは、大瓶で五五〇円。日本酒は一合のコップで三〇〇円。焼鳥は一三〇−一五〇円、焼とんは一〇〇円で、火は炭火を使っている。煮込みは二八〇円と安く、野菜がたくさん入り、鉢に山盛りにした上からネギを散らして出てきた。
入ったときは、ほぼ満席。カウンターに座っているのは全員が男性で、しかもすべて一人客。みんな無言で飲んでいる。聞こえるのは、店員同士の会話と、注文の声だけ。年齢は、三〇代、四〇代、五〇代、六〇代が、それぞれ一人、二人、三人、四人の計一〇人。見事な逆ピラミッド型年齢構成である。スーツにネクタイ姿は六〇代の一人だけで、後は大部分がジャンパー姿。下町の大衆酒場とあまり変わらない。こんな店が、三軒ほど同じ通りにある。自由が丘の、隠れた一面である。ビール二本、煮込み、焼き鳥と焼きとんを二本ずつで、一八八〇円。メニューの合計額通りだった。
四〇分ほどで店を出て、「金田」へ。今日はもともと、「金田」へ行くつもりはなかったのだが、「鳥へい」との落差を味わってみたくなった。一階のカウンターは、八割方が埋まっている。私が座ったのは、二つ並んだコの字型カウンターの、奥の方。燗酒と炊き合わせをいただく。鰊と里芋、ふくろの炊き合わせが美味しい。燗酒の後は、菊正宗の七年熟成焼酎をロックでいただく。これは、うまい。カウンターに座っているのは、六〇代の品のいい夫婦が二組、スーツにネクタイ姿の六〇代と四〇代の男性。これは、会社役員と、お説を拝聴している中間管理職といった面持ち。カジュアル姿の日焼けした五〇代男性と四〇代女性。タレントか、遊び人の社長夫婦の雰囲気。タートルネックと革ジャケットのインテリ風五〇代男性、ピンクのドレスシャツを着こなし、口ひげを生やした四〇代男性、スーツにネクタイ姿でニューズウイーク日本版を読む六〇代男性。そして美男美女の三〇代カップル。「恋人」(市川崑監督)の池辺良と久慈あさみのようだ。空いた席に、ネクタイを外し、カジュアルな上着に着替えて妻を連れてきた、五〇代の会社役員風が座る。一人客はしみじみと、二人客は適度の声の大きさで談笑しながら飲んでいる。穴子煮を注文し、燗酒をもう一本。軟らかく、しかもふっくらとした穴子は、絶品だった。
客層は、山の手高級住宅地を控えたこの街の特徴そのもの。料理も一級品。ここまでは、たとえば代々木上原の「笹吟」、下北沢の「楽味」に近い。ところが、下町風のコの字型カウンターで、くつろげる。席と席の間隔も適度で、窮屈さを感じない。だから、男の一人客がやや多くなる。これが、名店といわれる所以か。たまには来たいものだが、私の住まいからは不便すぎる。自転車でも行けないことはない距離だが、電車だと下北沢・渋谷と乗り換えるか、あるいは豪徳寺三軒茶屋二子玉川と乗り換えなければならない。この不便さが、東急文化圏、小田急文化圏、中央線文化圏などを作り上げている。東京はどう考えても、同心円構造ではない。(2007.1.28)