橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

四ツ木「ゑびす」

classingkenji2007-07-07

五〇〇〇〇カウント記念にどこで飲もうかと、少し考えた。いい機会だから、前から行ってみたかったところへ行ってみよう。というわけで、都営地下鉄大江戸線新宿線浅草線と乗り換え、さらに京成線で荒川を渡り、四ツ木へ。ここへ来たのは初めてである。六時過ぎだから、まだ明るい。駅は新しくなって、何の変哲もない高架駅だが、階段を下りて左手に出ると、昭和の雰囲気の古い商店街が始まる。商店街を五−六分歩いた道の左側に、「ゑびす」があった。幅広い暖簾に、「大衆割烹」と大書されている。間口が広い割には、店は思いの外狭い。幅広のコの字型カウンターで、二五人くらい入れるだろうか。驚くほど品書きが多く、そして安い。刺身だけでも二〇種類ほどあり、値段は二七〇−三七〇円が多い。穴子、コチ、イカ、アジなど、天ぷらやフライも種類が多く、いちばん高い穴子でも四八〇円。焼き物、煮物など、居酒屋で出すような魚料理は何でもあるといっていい。やきとり、モツ焼きもある。ここへ来たからには、まずはハイボールだろう。薄い琥珀色のハイボール(二七〇円)は、まさに下町の味。氷が少なめで、飲み終わる頃にちょうど溶けるほどの分量。バランスがいい。三七〇円の中落ちは、脂の少ない本物の中落ちだった。カシラ(二五〇円)は串焼きではなく、一口大に切って焼いたものを皿に載せ、キャベツが添えられてきた。肉は串焼きなら三本分くらいか。これはこれで食べやすくてよい。他に、レバ、タン、ナンコツ、ハツがある。ビールはキリンとアサヒで、大瓶が五三〇円。ヱビスビールもあるが、こちらは中瓶で五〇〇円。大きさが違うとはいえ、ヱビスの方が安い店というのは初めて見た。ふつうは、中瓶で他の大瓶と同じ価格にするところだろう。値付けが良心的である。
ネクタイ姿の客は、一人もいない。カウンターのいちばん端の席には、普段着の五〇代のカップル。ちょっと乱れた長髪の女性が、身の上話をしている。スポーツ刈りと野球帽の五〇代男性二人組。六〇代の男性二人女性一人の三人組は、松坂がどうした、松井がどうだと野球の話をしている。男性の一人は、やはり野球帽。ノーネクタイに上着を着た五〇代男性が、客の中ではいちばんフォーマルな服装。六〇代男性二人組、やはり一人は野球帽だ。三〇代のカップル、男性はドレスシャツ、女性はTシャツ。赤いポロシャツを着た五〇代男性。野球帽が目立つのは下町酒場の特徴だ。そういえば、途中の道でもネクタイ姿は目にしなかった。
一時間ほど飲み、ハイボール三杯、中落ち、コハダ、カシラと食べて、勘定はわずか一七〇〇円。こんな店が近くにあったら、ほとんど毎日通うかもしれない。もっと有名になっていいような店だが、有名にならずにこのままでいて欲しい。またきっと、ふらりと訪れるに違いないから。(2007.7.6)