橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「吉乃川酒蔵」「三州屋」

classingkenji2007-01-27

今日は、ふと思い立って有楽町へ飲みに行くことにする。まず、以前から気になっていた丸三横町へ。二度往復しながら様子をうかがい、いちばん古そうな焼鳥屋に入る。七〇過ぎの女性と、その息子と思われる男性の二人で切り盛りする店だが、おそらく昭和二〇年代から手を入れていないと思われる古びた雰囲気で、この点は悪くない。カウンター八席と、テーブルが三つで、客はスーツにネクタイ姿の中高年サラリーマンが中心。しかしこの店、最初から調子が狂いっぱなしだった。まず、隣の客が黒ラベルを飲んでいるのを確認して「サッポロビール」と注文したところ、息子の方が「そんなのないよ。うちはスーパードライ黒ラベルだけなんだから」との答え。「じゃ、黒ラベルで」と言うと、「ないものは出せと言われても出せないやなぁ」と嫌みを言う。隣の客が、カウンターの上にあった皿を取ろうとすると、「それ使っちゃダメ。お新香の皿なんだから。うちは取り皿ないの。小料理屋じゃないんだから。」母親の方がさらに追い打ちをかけ、「そうよ、それがいやなら別の店行ってね。」店の奥をみると、座敷にゴミ袋が散乱している。ビール大瓶が五八〇円、焼き鳥は一五〇円。この店は、レバーとタン二本ずつがデフォルトになっているらしく、注文もしないのに「たれ?塩?」と聞かれ、この四本がすぐに焼かれて出てくる。味は悪くないが、ぐらぐらの椅子のせいもあって、居心地が悪い。六〇近いと思われるサラリーマンが、男性と女性の部下二人を相手に、「俺は独身寮に住んで金を貯めて、三七歳で家を建てた」と自慢話をしている。タイムスリップ気分は十分味わったので、次の店へ行くことにする。
有楽町駅そばの「吉乃川」へ。なかなか入れない店だが、運良くカウンターの客が席を立ったところだった。ビール大瓶五五〇円、中生四五〇円、日本酒一合三五〇円は、この場所としてはかなり安い。早々に満員になるのも当然である。刺身は四〇〇−七〇〇円程度で、しかもうまい。刺し盛りの皿が、次から次へと運ばれていく。カウンターの中には六〇歳前後の板前が三人、忙しく働いている。割烹着を着た、やはり六〇歳ぐらいのフロア担当の女性も、きびきびと立ち回り、次から次へ戸を開けて中を覗く客に、「ちょっと、いっぱいですね、すみませーん」と気持ちのいい断り方をする。燗酒を頼むと、お湯につかった一合瓶の栓を開けて、あっという間に手渡される。電車が通るたびにゴトンゴトンと音がする。客の大部分は、中年サラリーマン。私の席から見えた一五人のうち、一〇人がスーツにネクタイ姿で、五〇代以上が七人、四〇代が三人。カジュアル姿は、五〇代男性一人と、三〇代のフリーター風二人組、そしてちょっとおしゃれな夫婦が一組。都心という雰囲気に満ちている。
すぐ近くでありながら、銀座へ行くとちょっと雰囲気が変わる。久しぶりに訪れたのは、二丁目の並木通りから小路に入ったところにある「三州屋」。ここに入ると、都心であることを忘れがちになる。地方都市の、古い一戸建て居酒屋の感覚だ。一人で入るときは、入って右側の白木のカウンターに席を取る。使い込まれたカウンターは、よく手入れがされており、美しい白木でありながら角はすり減って丸みを帯び、手に障るところが全くない滑らかさ。私から見えたのは、男性一九人、女性四人、合わせて二三人だが、スーツにネクタイ姿はわずか六人で、そのほかにネクタイを外したと思われるスーツ姿が二人いるだけ。ちょっと業界人風の二人組、週末デートの三〇歳前後のカップル、品のいいジャンパーを着てハンチングをかぶった中年男、カジュアルながら高級そうな身なりの七〇代夫婦など、客層は多彩で、少し華がある。スーツにネクタイ姿で、少し髪が後退しかけた三〇代の男が、一〇歳くらい年が離れていると思われるOLに酒を勧め、楽しませようと懸命になっている。女の方も、まんざらではなさそうだ。この店が好きな者どうしなら、結婚してもうまくいくだろう。料理は、多彩な魚料理と、名物の鳥豆腐。金目のカブト煮を頼んだら、二つに割られた大きな頭が一匹分、ほどよく煮込まれて出てきた。これでわずか五〇〇円。ビールは大瓶六五〇円、酒一合が三五〇円。いつまでも残って欲しい銀座の名店である。(2007.1.26)