橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

大分「居酒亭 時」

classingkenji2011-02-28

高杉良の小説『生命燃ゆ』は、大分市にある石油コンビナート建設の中心を担った実在の技術者が主人公。建設が始まった頃、大分はホテルも旅館もない田舎町だった。そこで割烹料理屋と契約して別棟を借り受け、社員の宿泊所にあてたと書かれている。「こつこつ庵」の主人の家も、店を始める前には製鉄会社の社員を何人も下宿させ、お母さんが自慢のだんご汁を食べさせていたというから、こういう例はいくつもあったのだろう。主人公は地元の若者たちに技術の基礎を教え、熱心さで尊敬を集めた。そして白血病に倒れ、病状が悪化したときには、教え子たちが献血に殺到した。
このエピソードが印象に残っていたので、工場のあるJR鶴崎駅、高城駅あたりへ行ってみることにした。工業地域だけに夜の人通りは少なく、店も多くないが、見つけて入ったのが「居酒亭時」である。
まだ若い店主が、この店を始めたのは一二年前。人通りの少ない場所だけに、最初はずいぶん苦労されたらしいが、いまでは遠方からの常連客などで賑わうようになった。飲食店も経営する大手の肉屋で修業した立川さんの自慢は、豊後牛の刺身である。細かなサシが適度に入って美しいタン、そしてハラミは、繊細な舌触りで澄んだ旨みがある。もうひとつの自慢は生ビールで、静かにグラスの八割ほどを満たした後、大きな泡をスプーンで取り除いてから残りを注ぐ。よく見かけるレギュラー品のビールなのだが、まるでチェコピルスナーのような味がした。日本酒、焼酎などの他、三〇種類ほどのカクテルも出す。ちょっと洒落たカフェバーのような雰囲気で、女性にも喜ばれそうだ。目立たない店構えなので、ご注意を。

大分市高城本町1-14
18:00〜25:00 火休

生命燃ゆ (徳間文庫)

生命燃ゆ (徳間文庫)