橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

静岡「多可能」

classingkenji2010-09-01

二泊三日の予定で、静岡へ。七月にも訪問したばかりだが、今度はさほどの用事もなく、もっぱら居酒屋が目的である。
静岡は城下町だが、駿府城天守閣は早くに失われ、残る御殿や城門も明治に入って取り壊されたから、壕と城壁以外は残っていない。一九四〇年の静岡大火と四五年の空襲で、市内がほぼ焼き尽くされたから、古い街並みは皆無である。
ところがこの街には、城下町の賑わいがある。城の南側、町人地だった場所が現在の繁華街で、一辺五〇間(約九〇メートル)を基本とした当時の町割りに、ほぼ正確に沿って発達している。そして呉服町、両替町、紺屋町、人宿町、研屋町、茶町など、家康の定めた町名が今も使われ、当時のままに小さな町が多い。地方都市によくあるシャッター通りのような場所は、皆無に近い。人通りも、驚くほど多い。実に元気な商業都市である。そして一本裏通りに入れば、魅力ある居酒屋が軒を並べている。
最初に訪れたのは、静岡では知らぬ者のない大衆酒場「多可能(たかの)」である。創業は何と、一九二三年という老舗。静岡大火と空襲で二度焼けたが、急拵えの再建を経て、六一年に現在の建物になった。金茶色に熟成した空間に、黒い木札の品書き、白い細身の徳利などが整然と並び、三代目の高野利秋さんと四代目の晋さんが店を仕切っている。三代目の奥様の手になるダイナミックな生け花も素晴らしい。料理の種類は多く、海の幸の豊富な土地だけに、魚料理だけで三〇種近くになる。酒は地元の「萩錦」。一合瓶の栓を抜き、年代物の銅の燗付器で暖めて出す。駅にも近いから、たとえ時間に余裕がなくても、この店だけは外してはいけない。(2010.8.5)

静岡市葵区紺屋町5-4
16:30〜23:00 日祝休