橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

日暮里「豊田屋」

classingkenji2007-01-23

東大で研究会の後、地下鉄で千駄木まで行き、谷中ぎんざへ。久しぶりに来てみると、ちょっと洒落た感じで食器や民芸品などを売る、観光地のような店が増えた。酒屋も、店先にワインをたくさん並べている。商店街を通り抜け、日暮里へ向かう。坂の階段を上ろうとしたところ、突然左側から何かが走ってきて、右手の木に飛びついて登っていく。一瞬狸かと思ったが、毛足の長い茶色の猫だった。猫が木登りをする決定的瞬間をカメラに収めようとしたが、残念ながら間に合わない。すぐに降りて歩いていった先を見ると、階段の脇に一〇匹ほどの猫がたむろしている。人に慣れたようすで、通りかかったおじさんに頭をなでてもらったりしている。
谷中から日暮里へ行くときは、階段になった坂をいったん登った後、しばらく先で急坂を下りることになる。この坂が、御殿坂。坂の途中に下御隠殿橋という跨線橋があり、その横が日暮里駅北口で、下を山手線、京浜東北線東北本線常磐線、東北・上越新幹線京成本線が通る。この橋から両側を眺めると、西側に谷中霊園と数多くの寺社、閑静な住宅地、東側には坂を下りた低地に広がる歓楽街と、極めて対照的な光景が広がる。南口の方にも坂があり、これは紅葉坂跨線橋はもみじ橋。谷中は下町と誤解されることが少なくないが、こうしてみると台地の上の山の手であることがわかる。もっとも古地図を見ると、西日暮里二丁目から東日暮里五丁目あたりの駅東側周辺を、谷中本村と呼んでいたらしいが。少し下って鶯谷まで行けば、線路の西側は寛永寺国立博物館東京芸大、東側は言わずと知れたラブホテル街。東京でも、もっとも落差を感じる地域のひとつである。そう、ここも国境の町なのだ。
今日の目当ては大衆酒場の「いづみや」だったのだが、残念ながら休み。そこで二軒目にするつもりだった「豊田屋」へ。いい店である。右手にカウンター八席、左側に大小のテーブルが七卓。売り物は魚で、あんきも、やりいか、なまこが四五〇円、ひらめが五五〇円、生うに七〇〇円など。天然物と思われるひらめは歯ごたえがあり、しっかりした味がする。ビールはサッポロで、大ジョッキが六二〇円、ラガーの大瓶が四五〇円と安い。他に、あさ開、出羽桜などの日本酒と焼酎がそれぞれ五−六種類。
客は大部分がスーツにネクタイ姿のサラリーマンである。年齢は三〇代から五〇代で、四人客が二組、三人客が一組、二人客が四組。カウンターには四〇代が一人。職場が近いのだろうが、交通の要所だけに、仕事帰りに立ち寄ったのかもしれない。後から六〇代の品のいい夫婦がやってきて、カウンターに座った。白いあごひげの男性と、よく手入れされたグレーの髪の女性で、二人とも銀縁のめがねをかけている。刺身を何種類かとビール、その後は日本酒を注文した。線路の向こうからやって来た越境者のようにも見える。
一時間ほど飲んで、鶯谷まで歩く。線路の向こう側は、うっそうとした寛永寺の森。駅とラブホテル街の間にある飲食街を少し歩き回ったが、さほど魅力を感じる店がない。駅から出てきた降車客には、足早にラブホテル街へと消えていくカップルが多い。ここでゆっくり飲もうという客は、多くないのだろう。まあいいかと入ったのが「加賀屋」。カウンターに座り、もつ煮込みとホッピーを注文する。客の大部分は、やはりスーツにネクタイ姿のサラリーマン。私の並びのカウンターにも、スーツにネクタイ姿のサラリーマンが二人。一人はイヤホンで音楽を聞きながら文庫本の小説を読み、もう一人は黒ホッピーを飲んでは、静かに腕組みをする。居酒屋は、すぐには家に帰りたくない男たちが、自分だけの時間を過ごす部屋でもあるのである。(2007.1.22)