橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「たそがれ酒場」(内田吐夢監督 1955年 新東宝)再論

この映画については四月二六日に紹介したが、いくつか補足をしておきたい。この作品は、戦地から半死半生で帰ってきた内田の復帰第二作。内田は自伝『映画監督五十年』で、その脚本について「健康な大衆酒場の一日の出来事が、たった一パイのセットに盛り込まれた異色脚本」で、「これは安くて面白いものができるぞと思った」と記している。そしてクランク・アップの日、内田が「午前中でオール・チョン──あとはこのセットで衣装のまま──タイアップの酒とおつまみで、お別れパーティーを開いては」と提案し、裏方、表方総出で夕方まで楽しんだという。光景が目に見えるようだ。
前回、この酒場にはモデルがあったのではないかと書いたが、これについて手がかりがあった。映画評論家の野島孝一によると、そのモデルは、新宿西口の「思い出横町」に何軒かあったヤキトリキャバレーだという。ヤキトリキャバレーといえば、第二宝来家の先代ご主人、金子正巳さんも、現在パレットビルのある場所に「やきとりキャバレー宝来」を経営していたことがある。金子さんの著書『やきとり屋行進曲』によると、それは「やきとり五本五〇円、焼酎二杯八〇円、サービス料ゼロ、合計一三〇円。これだけでもホステスの手を握ったりダンスをすることができた」という。あまり「健康な大衆酒場」という感じではないが、値段は「たそがれ酒場」とほぼ同じである。ただしこの店は一九五六年開店だから、モデルにはなり得ない。当時、この近くにはすでに「大福キャバレー」「富士屋」というヤキトリキャバレーがあったそうだから、このどちらかがモデルということだろうか。しかしここも、「めかしたホステスたちが接客サービスをする」店だったというから、ちょっと違う。
野島孝一のこの文章は、「たそがれ酒場」をリメイクした映画、「いつかA列車に乗って」(荒木とよひさ監督・二〇〇三年)のオフィシャル・ページに掲載されている。舞台はジャズクラブに設定されているとのこと。ビデオが入手できることになったので、見たらまた紹介したい。(2007.5.10)