山本淳子「源氏物語の時代」
これを「酒の本」に入れるのは、少々無理があるかもしれない。にもかかわらず紹介するのは、著者が私の掲示板である「居酒屋とり橋」の常連、紫式部こと山本淳子さんだからだが、しかし理由はそれだけではない。本書には、宮廷の住人たちの飲みっぷりや酔態について、いくつかの言及がある。藤原道隆は長年の大酒がたたり糖尿病となって死ぬが、死に際まで飲み友達のことを「あいつらも極楽にいくかなぁ」と気にしていた。右大臣の藤原顕光は、宴会に出るたびに酔っぱらって物を壊したり、女房に絡んだりする。
さて、本書の288ページに大内裏図が掲載されているが、その中央部西寄りに「造酒司」とあるのに注目しよう。これは酒造を司る事務局のようなものだが、酒造りも行っていた。発掘調査によって、この場所に四つの酒蔵または倉庫と池が発見されており、付近では今でも良水が湧き出るという。ちなみにすぐ南東には、豊楽院(宴会場)がある。『延喜式』には当時作られていた酒十五種類についての記述があるが、宮中用の酒は、そのうち御酒、御井酒、醴酒(こざけ)など七種類。いずれも甘口の澄み酒または白酒だったと考えられる。醴酒は、水の代わりに酒を用いて醸す、アルコール度数の高い盛夏用の甘酒とされるが、「源氏物語」の「常夏」の巻には、猛暑の日に、光源氏が池に面した部屋で宴会をする場面が出てくる。
炎暑の日に源氏は東の釣殿へ出て涼んでいた。子息の中将が侍しているほかに、親しい殿上役人も数人席にいた。桂川の鮎、加茂川の石臥などというような魚を見る前で調理させて賞味するのであったが、例のようにまた内大臣の子息たちが中将をたずねてきた。
「寂しく退屈な気がして眠かったときによくおいでになった」
と源氏はいって酒をすすめた。氷の水、水飯などを若い人はみな大騒ぎして食べた。(与謝野晶子訳)
ここで石臥というのは、ゴリかハゼの類の魚、水飯は冷水で仕立てた茶漬けのようなものである。夏の日に、池の辺で涼みながら、焼きたての鮎やゴリ、そして水飯を肴に酒を飲む。何とも美味そうだ。氷水もあったというが、私なら氷に醴酒をかけて食べるだろう。源氏は、そうしなかったのだろうか。
源氏物語の時代―一条天皇と后たちのものがたり (朝日選書 820)
- 作者: 山本淳子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2007/04/10
- メディア: 単行本
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