橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「千草」

classingkenji2010-03-17

もう亡くなったが、かつて東京学芸大学に海老原治善という教育学者がいた。非正統派マルクス主義の教育学者で、日教組ブレーンだった。一九八九年に分裂する前の日教組では、組織のうえでは社会党系が主流派だったが、研究者グループでは共産党系が主流だったから、海老原氏は同じく非共産党系の研究者たちとともに、いわば冷飯食いの状態にあった。ところが日教組の分裂にともなって、共産党系の研究者たちは日教組を追われ、非共産党系研究者だけが残されることになる。このとき、あまり共産党とは関係の深くない、消極的シンパ程度の研究者もいっしょに追放されたことから、人材不足が深刻になった。
当時、私は教育社会学専攻で、アルチュセール学派のマルクス主義理論を教育研究に適用する論文などを書いており、海老原氏の研究会にも参加したことがあったことから白羽の矢を立てられた。日教組の人使いの荒さは聞いていたので、あまり関わりたくもなかったのだが、日教組の副委員長だった続忠志氏の説得で、仕事を引き受けるようになった。ちなみにこの続という人は、宮崎高教組出身の優れた人物で、高教組出身で初めての日教組委員長になるのではないかなどとも噂されていた。実際、私が日教組に関わった十数年間で、これ以上の活動家に出合うことはなかったのだが、不幸にしてまもなく事故で亡くなった。
海老原氏のグループは、わが世の春といった趣だった。なにしろ、自分たちの上を押さえつけていた著名な共産党系研究者は、全員追放されたのである。これからは、自分たちが日教組の教育研究を牛耳れる。しかし人材不足は目を覆いたくなるほどで、まったく無能な連中が、単に非日共系だとか海老原氏の教え子だという理由で、研究者グループに入ってきていた。というわけで、教育社会学専攻とは名ばかり、マルクス主義研究しかやっていなかった私などにまで声がかかったわけである。
海老原氏と知り合った最初の頃、何かの研究会の帰りに連れられて入った店が、ここだった。これまで何度も前を通っているはずだが、今日はなぜか当時のことを鮮明に思い出して、入ってみる気になった。あの時入ったのは二階の座敷だったはずだが、今日は一人なので一階のカウンターに座る。具体的ではないものの、「雰囲気の記憶」のようなものがある。そうだ、こんな店だった。これぞ、昭和の居酒屋である。昭和といっても、おそらく四〇年代。骨董的価値というほど古くはないから、有名店にはなりにくい。しかしその分、混み合うこともなく気軽に入れる。
値段は新宿としては安い方だが、大衆酒場と呼べるほど安くはない。値段は十の位が八か三のものが多く、マグロ六三〇円、アジたたき五三〇円など。酒の値段がメニューにないのが難点だが、普通の値段だと思われる。味も、普通。何がいいかといわれても、説明しにくい。しかし私は、またこの店に来ると思う。二〇代の頃、メニューの値段をじっくり見回し、財布の中身と比べて暗算を繰り返していたあの頃の居酒屋に、いちばん近い店の一つだからである。(2010.3.3)

新宿区新宿3丁目34-3