橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

ダブリンにて

classingkenji2008-06-17

2泊3日の予定で、アイルランドの首都・ダブリンに行ってきた。ダブリンは、サウスハンプトンの空港から80人乗りの小さなプロペラ機で1時間ほど。5時過ぎに家を出て、8時過ぎには着いてしまった。空港から市内へ向かうバスの車窓から、「YES」「NO」と書かれたいろんな種類のポスターが次々に目に入ってくる。着いてから気がついたのだが、この日はリスボン条約の批准をめぐる国民投票の日だったのである。アイルランドといえばギネスとアイリッシュウイスキー、そしてアイリッシュパブなのだが、この話題は日を改めることにして、まずは現地の模様をご紹介しよう。
ポスターの種類が、たいへん多い。さらに手作りポスターや壁の落書きのたぐいもあり、多数の団体がキャンペーンにかかわっていることがわかる。アイルランドは保守二大政党と労働党が主要政党で、これらはいずれもリスボン条約に賛成している。名の知れた政党ではシン・フェイン党が反対。これはもともとIRA(アイルランド共和国軍)の政治部門で、北アイルランドでは強い勢力を持つものの、アイルランドではわずか4議席の少数政党。単純に考えれば批准は間違いないところと思われたが、結果はご存じの通り否決だった。写真は、ジョー・ヒギンズを党首とする社会主義者党の勝利宣言のポスター。議席はないが、かなり影響力のある政党のようで、ヒギンズの顔写真入りのポスターも多数見かけた。実はこの勝利宣言は、キャンペーンに使われた台紙付きのポスターを半分に切り、その裏側に貼り付けた急造のものである。開票翌日の朝には、すでに市内に多数貼られていた。シン・フェイン党も、街頭のポスターの数と目立ち具合をみる限り、保守二大政党並みの存在感を示していて、議会外の社会運動がきわめて活発であることがうかがえる。
リスボン条約は全加盟国が批准しないと発効しないので、その影響は大きい。現在のEUの路線は、EUの経済統合を進めるという意味ではグローバル化の一環だが、米国一極化の対抗勢力の強化という側面もあるから、評価は分かれるだろう。しかし主要政党がすべて賛成する中で、国民投票で反対が過半数を占めたということの意味は大きい。地元の新聞で地域ごとの賛否の状況をみると、ダブリン南部の高級住宅地では賛成が6割以上と多数を占め、労働者階級の多い西部では逆に反対が6割を超えている。これは、下層階級の意志というものが間接民主主義の手続きでは十分に反映されないということの例証だろう。他のEU諸国は、国民投票を回避して議会レベルで批准手続きを進めている。アイルランドと同様の結果になるのを恐れてのことである。国民投票による直接民主主義的な手続きは、議会の暴走を防いで議会制民主主義をコントロールする、不可欠の要素なのである。(2008.6.16)