橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「吾作・ちえ分店」

classingkenji2006-11-09

京王線の下高井戸駅のホームから、いかにも古い大衆居酒屋の雰囲気を漂わせた店が二軒並んでいるのが見える。いつか行きたいと思いつつ、1年ほどが過ぎた。ところが、行こうとするとけっこう難しい。世田谷線のホームを経由すればすぐ前に出るようだが、普通に京王線の改札を出ると、横道からさらに細い路地に入り、踏切をわたって行く羽目になる。その店が、「大衆酒場ちえ」と、「吾作・ちえ分店」。今日、ゲラ刷の束を持って入ったのは、「吾作」の方である。
縄のれんをくぐって中に入ると、左側にカウンター七席、右側の小上がりにはテーブルが五つ。店を切り盛りするのは、三〇才代の夫婦。隣の「ちえ」の方は初老の夫婦がやっているので、息子夫婦ということだろうか。経堂に引っ越してくるまで、居酒屋文化の上では下町的な性格の強い、板橋に長い間住んでいたこともあって、居酒屋といえばもつ焼きと刺身があるものと思っていた。ところが、経堂にはそんな店がない。しかしこの「吾作」には、うまい刺身ともつ焼きがある。もつ焼きの味は今一つなのだが、それでも、ありがたい店だ。しかも、安い。ビールはクラシックラガーの大瓶と生大が、いずれも四九〇円。サワー類は何と二七〇円である。今日食べたしめ鯖は、表面だけ軽くしめたその加減が絶妙で、わずか三〇〇円。旬のサンマも、焼き・刺しとも三〇〇円。安いところでは、かつお節とネギがたっぷりかかった冷や奴が一五〇円。食事のメニューも豊富で、フライや生姜焼きなどを出す。今日の付け出しは、背黒イワシの酢の物と胡瓜の酢の物を盛り合わせたもの。ぶつ切りの胡瓜に細かく切れ目が入れられ、ちゃんと手がかかっているところがうれしい。
今日の客は、カウンターにスーツにネクタイ姿の五〇代男性一人客が二人、トレーナー姿の五〇代男性が一人。小上がりには、スーツにネクタイ姿の四〇代男性二人組と、スーツにネクタイ姿の六〇代男性とカジュアルな五〇代女性。小上がりの客も小声で話していて、落ち着いた雰囲気だ。これなら、校正もはかどる。はかどったので、今日はビール一本だけ。付け出しと合わせて一〇九〇円を払う。安くていい店が、自転車で一〇分くらいの所にあって幸せだ。
外に出ると、隣の「ちえ」に、近くにある日大の学生と思われるグループが入っていく。こちらの店には広めの座敷があって、大人数の宴会もできそうだ。しかし、入り口近くのカウンターやテーブル席からは少し離れているので、騒がしくなることはあまりない。次は「ちえ」に入ろうなどと考えながら、自転車に乗り、再び踏切をわたるのだった。(2006.11.8訪問)