橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「トロ函」

classingkenji2006-10-13

営業活動で、新小岩の都立高校へ。体育館に50ほどのブースが作られ、経済学・心理学・社会学社会福祉・看護など、領域別に生徒を集めて説明会である。最近、この手の仕事が多い。めったに来ない場所なので、終わった後は当然、居酒屋を物色する。
小岩と名の付く地名はいくつかあり、東西南北小岩は江戸川区だが、新小岩葛飾区になる。しかし柴又や立石、亀有といった下町情緒のある場所とはだいぶ違っていて、地名の通り江戸川区の外縁という印象が強い。そもそも、総武線の駅で葛飾区にあるのは、新小岩駅だけ。駅の南側にアーケード街があり、その周辺に飲食店街が広がる。
まず入ったのは、立ち飲み屋の「でかんしょ」。小規模ながらもチェーン店で、池袋・巣鴨・亀戸にもあるとのこと。まずはサッポロ黒ラベル中瓶(四五〇円)を注文。これはさほど安くもない値段だが、チューハイやハイボールの類がジョッキで二五〇円と安い。そのほか焼酎が十三種類、日本酒も六種類と充実している。串焼きは1本一〇〇円から。炭火で焼いたカシラの塩焼きは、ボリュームもあり美味しかった。店内の冷蔵ケースには、ポテトサラダ、煮卵、サラミなどが小皿に盛ってあり、一皿一五〇円均一。入ったのは4時過ぎだが、客はすべてカジュアルな服装で、Tシャツ姿の二〇代男性が二人、四〇代女性が一人、トレーナー姿の三〇代男性一人と四〇代女性一人、薄い色の地味なドレスシャツを着た四〇代男性、ジャンパー姿の五〇代男性。いずれも一人客だが、一部は顔見知りらしく、ときどき言葉を交わしている。客の多くは常連のようで、千円で五十円券が二十二枚というチケットで支払いをしている。少し時間をつぶすにはいい店だが、最初は入りづらいかもしれない。
次に入ったのは、「三貴」。店内はかなり広く、右にカウンター、左側にはテーブル席、奥には座敷もあるようだ。チューハイ(三五〇円)を頼むと、いっしょにネギとワカメとアサリのぬたが付け出しに付いてきた。値段はこの地としてはやや高めだろうか。刺身類は六〇〇円程度、いちばん安いサンマが三八〇円。日本酒は一〇種類あり、いちばん高いのは久保田万寿の一五〇〇円。このほか立山、八海山、雪中梅浦霞など、二昔前くらいの「名酒」が並ぶ。こちらの客もカジュアルが中心で、見るからにブルーカラー風の野球帽をかぶった50−60代男性4人組などもいるが、スーツにネクタイ姿も五〇−六〇代男性の五人組のなかに二人、五〇代男性の二人組などいて、一色ではない。四〇代女性を伴って入ってきた、ベレー帽をかぶった紳士風の六〇代男性もいる。この地域としては「中の上」的な位置づけの店なのだろう。シークワサーハイを注文したら、チューハイに大きめのシークワサーが二個もついてきた。これで四五〇円なら納得である。
すっかり暗くなった道を歩くと、漁船のようにクリア電球のまぶしい店がある。これが最近できたという「トロ函」。天井には漁網が張られ、テーブルの足や外側にはトロ箱の板が張り付けてあり、まるでトロ箱を組み立てたかのような趣。イスは、酒箱の上に板を張り付けたもの。料理は魚介類ばかりで、イクラ、ホタテ、ウニなど北海道のものを中心に種類が多い。サザエの壺焼きは、注文すると目の前に炭火のコンロが運ばれてくる。価格設定はなぜか九九円にこだわっているようで、料理だけでなく酒の値段もエビス中生四九九円、ホッピーと酎ハイが三九九円、日本酒二九九円など。天羽の梅を使った下町ハイボールとホイスも、やはり三九九円。この下町ドリンク二種を揃えた店は、初めて見た。客層は、これまでの二軒とはちょっと違う。おしゃれした女性ときれいな色のドレスシャツを着た男性の五〇代夫婦、ハイキング帰りらしい五〇代夫婦、釣りから帰ったところらしい重装備の六〇代男性三人組、スーツにネクタイ姿の四〇代サラリーマンなど。高い店ではないが、いい素材の魚料理が多いから、いろいろ注文していればそれなりの金額になるだろう。この地域では、やや高級な部類に入る店だと思う。佐野史郎に似た店長が、若い店員にいろいろ丁寧に教えている。客への対応も良く、良く教育されているらしいのはいいのだが、男性店員が例外なくイケメンで長身なのはどうしたことか。フリーターは、容姿で採用されるのだろうかと、ちょっと気になった。しかし、これはいい店だ。近くに住んでいたら、ときどき通うに違いない。近くへ行くことがあったら、立ち寄ってみることをお勧めする。(2006.10.11訪問)