橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

ビアホール「ライオン」

銀座七丁目にある銀座ライオンは、私のいちばん好きなビアホールである。菅原栄三の設計による、重厚でしかもリラックスできる内装、美しいモザイク壁画もさることながら、ビールの味がいい。おそらく、東京一といっていいだろう。ここへ来たら、まずは普通の生ビールを小グラスでいただき、次にザーツホップの香り高いエーデルピルス、コクのあるヱビス生ビール、そして黒ビールと進んでいくのがよい。ここまで飲み干すのに、一時間とはかからない。これでやめておけば、次の店に余力を残すことができる。料理のおすすめは肉汁たっぷりのローストビーフだが、これは時間限定である。
銀座のビアホールから始めるのは、松崎天民の次のような文章が頭にあったからである。

一切の階級を網羅して、博士、官吏、学者、金持、会社員、文士、番頭、行商人、運転手、車夫、労働者、誰でもが同じように、同じ空気の中に同化して、軽い酔いを購っているのも、ビヤホールに見る特色でしょう。(松崎天民『銀座』中央公論社、一一四頁、原著は一九二七年、銀ぶらガイド社刊)

もちろん、銀座は明治期から主に中流以上の人々の街だった。松崎がこのように感じたのは、関東大震災後に大衆化したといわれる銀座の変化のゆえだろう。以前は中流以上の人々に独占されていた銀座が、震災を期により幅広い人々を引き寄せ始めたという事実が松崎に強い印象を与え、上のような表現を生み出したのである。しかし、客の階級構成に注目することによって酒場の魅力を活写するという、松崎のこの手法は注目に値する。今和次郎のように実証的ではないが、居酒屋考現学の一つの源流に数えて良い。
それでは、現代のビアホールはどうか。この広いビアホールのすべての客について、私ひとりで記録することは不可能だがら、入り口近くに席を取った私からみえる範囲に限定する。観察したのは火曜日の一九時から二〇時の間で、観察できた客は、全部で一五組、四二人。
客の構成を見ると、男性三三人、女性九人で、男性のうちスーツにネクタイ姿が二二人を占める。全体の過半数、男性の三分の二がスーツにネクタイの男性ということになる。場所と時刻を考えると、意外にカジュアル姿の男性が多いという感じもするが、もちろん労働者風ではなく、学生風でもない。おしゃれ系か、あるいは地味なドレスシャツ姿が大部分である。
グループ別にみると、一五組のうち七組は、仕事帰りまたは仕事の延長だということが一目で分かる。部下を引き連れた上司、年代の近い同僚どうし、通訳つきの日本人と白人のグループなど。他で目立つのは、三〇代から七〇代まで幅広い年代のカップル、そして同期会か昔の友人仲間かと思われる、服装のバラバラな男性の集団である。
総じていえば現代の銀座ビアホールの客は、都心で働くホワイトカラーが中心で、飲むことが好きで各地から集まってくる個人、カップル、集団がこれに加わる形で構成されているといってよさそうだ。階級構成からいえば、松崎の観察よりはやや範囲が狭く、新中間階級への特化が進んでいるように見受けられる。