橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

ガード下の「羅生門」

銀座のビアホールの次は、どこへ行こうか。一年ほど前までだったら、たいてい松屋通りの「山形の酒蔵」へ寄るところである。この店は松屋通りから横へ、路地とも呼べないほどの細い隙間から地下に降りたところにあった。引き戸を開けると、そこにはまるで、東北地方の古い居酒屋に迷い込んだかのような別世界が広がる。名物は、玉こんにゃく、晩菊、とんぶりなど山形の珍味、それに澄んでいながら濃厚な味のスープの鳥豆腐。冬には芋煮会鍋も出した。酒は、住吉と樽平。居酒屋好きにとっては、天国のような場所だったが、二〇〇五年の夏、惜しくも閉店した。同じく山形名物を出す店に、金春通りから路地に入る「樽平」があり、こちらは健在だが、一人で飲むには少々上品すぎる。
迷った末、新橋ガード下の炭火焼き鳥の店「羅生門」へ行くことにした。一九四七年におでん屋として創業し、七一年に現在の形になったという。神田から新橋にかけてのガード下に一杯飲み屋が建ち並び始めたのは敗戦直後の闇市時代だというから、ガード下の歴史の生き証人であり、当時の風情を今に残す店ということもできる。コの字型のカウンターと、ガード下の通路にはみ出しそうなテーブル席が三つ。私は二〇年ほど前から通っているが、カウンターの中に焼方と料理人、外に店員一人というスタッフ構成は、基本的に変わらない。当時、中の二人はまだ若くてハンサムだったが、いまでは立派な中年になった。このほか、中に手伝いの若者が一人いる。
当然ながら、静かな店ではない。ときおり電車が大きな音を立てて上を通過し、客の声は自然に大きめになる。しかし、もともと騒がしい都心のことだから、電車の音は気にならないし、むしろ客の声を打ち消してくれる。両者のバランスが微妙にとれていて、むしろ落ち着ける。都会の孤独というものを、ここほど楽しめる場所はない。
場所柄、また店の性格からみて、中年サラリーマンのたまり場だろうと思われるかも知れないが、近年はめっきり若い女性客が増えた。客は、カウンターに一一組・二一人、テーブルに三組・八人、合計一四組・二九人である。一人客は、カウンターに男女各一人(そのほかに私)。男女構成は、男性二一人、女性八人。女性比率が銀座ライオンより高く、しかも女性だけの客が二組、女性の一人客もいるというのは、一昔前には考えられなかったことだ。
スーツにネクタイの男性客は一一人で全体の四割に満たず、男性の中でも約半数にとどまる。カジュアル姿のグループ客が一四組中七組を占め、人数でも一五人と過半数を占めている。フリーター仲間のようにみえる若いグループも三組いる。注目したいのは、スーツ姿の上司と部下風の客が皆無なこと。ここはライオンのように、上司が部下を引き連れてきて演説をぶつような店ではない。あくまでも自腹で酒と焼き鳥を楽しみにくる店である。そして女性も、一昔前なら中年男性ばかりだったこうした店を、うまく使うようになってきたということだろう。これは、居酒屋の将来にとって明るい材料ではなかろうか。客の階級構成からみれば、やや新中間階級に偏るとはいえ、都心にしては階級横断的性格の強い居酒屋といっていいだろう。