橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「清瀧・歌舞伎町店」

classingkenji2007-04-22

「清瀧」は埼玉の酒造メーカーの経営だが、池袋の三店舗など一〇店しかないという、比較的小さな居酒屋チェーン。そのためか、チェーン臭さが希薄である。料理も、見るからにセントラルキッチンで作られたというようなものは少ない。ホワイトボードに今日のおすすめなどというのも書かれていて、個人経営的な雰囲気がある。そして、安い。ビール大瓶(サッポロ黒ラベル)が四二〇円、五〇〇ミリリットル入った生ジョッキが三八〇円、日本酒は一合一四〇円からで、いちばん高い大吟醸でも五一〇円、サワー類は二三〇円から。料理は刺身盛り合わせなどを除けばほとんどが二八〇円から四八〇円。味はというと、もちろん素晴らしく美味いとはいえないが、無難で家庭料理的な味である。おすすめメニューから選んで注文した穴子とこごみの天ぷらは、大きめの穴子が一本とこごみが三本、表面はカラリとしていて中はしっとりという、水準を行く出来映え。もつ煮込みは、野菜が多めに入った家庭的な味。
この店、以前は値段相応に不味い店で、生臭くて食べられないような刺身を出していた記憶がある。客も貧乏学生とくたびれたオヤジが中心で、雰囲気が良いとはいえなかった。そのため、就職してからは一時遠ざかっていたのだ。ところが何年か前、たまたま店頭のメニューを見て変わったなという気がして入り、それ以来は時々行くようになった。客層も変わった。スーツにネクタイ姿の普通のサラリーマンが増え、若い女性のグループすらしばしば見かけるようになった。不景気と収入減の中で、人々は安い店へと流れてくるのである。こんな変化について、以前このように書いたことがある。

この店、三年前までは、貧乏学生かブルーカラー風の客が大部分でした。ギャンブルで所持金をスッたのか、よれよれのジャンパー姿の男性が隣の客に酒をせびる光景すら目撃したものです。ところが、最近の主流客はサラリーマンです。しかも、それなりに立場がある部長クラスの人物が、名刺交換したり、「商談の場」に利用しているのです。三年前には信じられないシーンです。(『日刊ゲンダイ』2004年4月23日)

それ以来、「格差社会と居酒屋」などというテーマに関心を持つ編集者や記者がいると、「清瀧」へ連れていくようにしている。ある編集者が、池袋の「清瀧」で私と飲んだ何日か後、若い頃ここの常連だった某映画監督兼ドキュメンタリー作家に、「清瀧」が変わったという話をしたところ、「“清瀧”にOLが来ている?そんなことがあるはずがない!」と怒り出したという。あの貧乏くさい「清瀧」を愛する人なら、怒るのもわからないではない。それでは、かつて「清瀧」で飲んでいたおっちゃんたちは、どこへ行ったのか。おそらく、公園か川岸で飲んでいるのではないだろうか。(2007.4.21)