橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

大本泉『作家のごちそう帖』

近代日本の作家たちの、食をめぐるエピソードを集めた本なのだが、この種の本にしては酒に関するエピソードが比較的多いから、ここで紹介してもいいだろう。
夫の鉄幹は下戸だったらしいが、与謝野晶子は酒好きで、寝る前にコップ一杯の冷酒を楽しそうに飲むことがあったとのこと。また、時折娘とデパートに行くと、食堂でビールの大ジョッキを陶然と飲んだという。意外だったのは宮沢賢治で、酒好きであるのみならず、神谷バー電気ブランをもじったのか「電気ブドウ酒」を作ったり、ブドウ酒を薄めて糖類や酒石酸、重曹などを加えて「王水」という飲み物を作って、まわりに振る舞ったという。
酒好きの作家でも、エピソードの多い一人は吉田健一である。行きつけの神保町・ランチョンでビールを飲んでいたとき、隣の店からの出火で火事になった。天井から黒い水が落ちるような状況だったが、吉田は悠然とビールを飲んでいる。店主の息子が「先生、火事ですから外へ出てください」と叫ぶと、「どこが火事なの」とまったく動じない。そしてのんびりと、「勘定はいくらだい」とのたまったとか。
登場する作家は、二二人。葛西善蔵山田風太郎開高健あたりも、酒のエピソードが多い。各章が短いから、居酒屋で読むにも良さそうだ。

新書749作家のごちそう帖 (平凡社新書)

新書749作家のごちそう帖 (平凡社新書)