橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「絶対再建できる」 陸前高田・酔仙酒造

classingkenji2011-03-31

近所の酒屋で偶然手に入ったのが、この酔仙・純米酒。もう当分、もしかすると二度と、手に入らないと思っていた。量販店なので、店員がどういう酒かも知らずに倉庫から出してきたのだろう。製造年月は、一一年三月とある。震災の直前に出荷されたものらしい。まずは冷やで、次はぬる燗で、大切にいただいた。
岩手日報に、こんなニュースがあった。何年かかるか分からないが、再建を応援したい。

「絶対再建できる」 陸前高田・酔仙酒造
おびただしい数の酒造タンクが、無残な姿でがれきの中に横たわっていた。土ぼこりに混じってかすかに漂う酒の香りがなければ、そこに酒蔵があったことは分からないほどだ。陸前高田市高田町の酔仙酒造。その年の酒造り終了を祝う行事のまさにその日、東日本大震災の大津波に襲われた。
「どうにもならない…」。壊滅した酒蔵の前で、営業部の和田浩之さん(46)がつぶやく。がれきの中に看板商品「雪っこ」の缶が埋まっていた。同僚の佐藤充夫さん(43)が、少しへこんだ缶を取り出し、静かにブロックの上に置いた。
同社は1944年、陸前高田市と大船渡市の造り酒屋8軒が一つになって誕生した。日本酒だけで年間約100万リットルを出荷。半数は北海道、首都圏など県外に流通し、中国にも進出している。
酒造りは通常10月から3月ごろまで。同社は県内で最も早く、お盆明けには雪っこを造り始める。毎年3月に酒造りを終える時には、杜氏(とうじ)や蔵人をねぎらう行事「甑(こしき)倒し」をする。今年は震災が起きた11日の午後4時から始めるはずだった。
地震が起きた午後2時46分、金野靖彦社長(64)は会社の事務室で突然強い揺れに襲われた。石油ストーブに乗せたやかんの湯を足に浴びた。建物は何とか持ちこたえ、中庭に集まった従業員にすぐ帰宅するよう指示をした。
津波が堤防を乗り越えた!」。防災無線から響く絶叫を聞き、中学生の時に経験したチリ地震津波の記憶がよみがえった。自宅から駆け付けた妻陽子さん(62)、社員の長男泰明さん(34)と車で国道を山に向かい、逃げた。橋までたどり着き、振り向くと会社の辺りが海になっていた。
地震から2日後、高台から会社の方向を見下ろすと、約150本あったタンクは全て流されていた。
16日、地震後初めて会社の敷地に足を踏み入れた。がれきの中に酒瓶やケースが散らばっていた。空に向かって突き出た酒蔵の鉄骨に「酔仙」と書かれた四斗樽がひっかかっているのを見て、涙をこらえ切れなかった。
だが再建への道をあきらめてはいない。幸いにも西に隣接する一関市に、15年間使っていない自社の蔵が残っている。やれることはやるつもりだ。「絶対再建できる」。そう自分に言い聞かせている。