橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

太田和彦『居酒屋百名山』

太田和彦もずいぶんたくさんの居酒屋本を書いてきたが、本書は「私の代表作であり集大成」なのだという。そのスタイルは、一言でいえばストイック。太田の本によくあるデータブック的性格や、紀行文のような広がりは最低限まで抑制され、居酒屋の佇まいと、主人や女将の人となりを描くことに徹している。「居酒屋本」としては、たしかに集大成だろう。
一〇〇名山のうち、二四までが東京(島部を除く)の居酒屋である。このことは、太田の居酒屋に対する価値観が、あくまでも東京的なものであることを示している。東京の居酒屋とは、基本的に、職場からも家庭からも、さらには居住の場としての地域からも遊離した、宮台真司的にいえば「第四空間」に属するものであり、太田の好みはこれだ。そして一部を除き、一流の料理と酒を出すグルメ志向の店が大部分だ。だから、地元ブルーカラーや自営業者に支えられる立石や赤羽の大衆酒場は、一軒も出てこない。ある意味、特定の文化に染まっていながらコスモポリタンを装う、新中間階級的な価値基準といえる。だから、大衆酒場好きの価値観とはかなりのズレがある。このあたりを理解した上で見れば、ほぼ完璧なラインナップであり、たしかに「集大成」なのだろう。
これから三〇年後、ここに収められた店のどれだけが残っているだろうか。居酒屋本は、すでに失われゆく文化を記録することを大きな役割とするようになっている。ときおり、太田の本を持った客が来たと主人が喜ぶエピソードがあるが、紹介された店は、何とか生き残るのだろうか。しかし居酒屋は、名店を頂点に序列化されるべきものではなく、街の空気のような存在、あるいは居心地のいい居間のような存在であるのが本来の姿ではないか。私としては、むしろ一〇〇に入らない店を応援する仕事がしたいと思っている。

居酒屋百名山

居酒屋百名山