橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

欧州で日本の居酒屋文化を思う

毎日新聞社のPR誌『本の時間』9月号に、著書紹介を兼ねてエッセイを書きました。転載しておきます。

欧州で日本の居酒屋文化を思う
この六月に、毎日新聞社から『居酒屋ほろ酔い考現学』を出版させていただいた。何冊目になっても、自分の本が出版されるのはうれしいものだが、今回は格別である。なにしろ、専門の研究より好きな趣味の居酒屋めぐりと、酒にまつわる雑学の蓄積が、著書に結実したのだから。
こんな根っからの居酒屋好きである私が、もう二ヶ月以上も居酒屋へ行っていない。というのも三ヶ月間、欧州で在外研究に従事することになったからである。まずはロンドンに近い地方都市に一ヶ月。次にパリへ移動して二ヶ月の予定で滞在をはじめ、これを書いている今、一ヶ月を経過したところ。だから日本の居酒屋とは、すっかりご無沙汰である。
とはいえ、英国にはパブがあり、フランスにはカフェがある。行かずにいられるはずはない。期間限定ながら「居酒屋考現学・欧州編」というわけである。
英国パブの第一の特徴は、エール、つまり英国風のビールがメニューの中心になっていることである。日本や米国で一般的な薄い色のビールとは違い、琥珀色から銅褐色。決まってカウンターのハンドポンプを使って注いでくれる。炭酸が弱いので泡が少なく、口当たりはなめらか。フルーティーな香りとシャープな苦みがあって、実に美味しい。
パブには、その前身となった旅籠のようなものまで含めると、十世紀近い歴史がある。古い町を歩くと、十二世紀に創業したなどという看板に出会うことも少なくない。とくに隆盛を極めたのは産業革命期から十九世紀にかけてで、情報交換や職業斡旋の場として、あるいは労働運動や政治活動の拠点として、大きな役割を果たしたといわれている。
現代のパブは、そこまでいかないけれど、そもそもがパブリック・ハウス、つまり「公共の家」。家庭でも職場でもない公共空間である。全国に八万軒もあるというパブの社会的な役割は、今でも小さくない。住宅地のパブで、グラスを片手に和やかに語り合う地元の常連客たち、ときおり行われる音楽のライブやクイズ大会などをみていると、たしかにこの国には、市民社会というものがあるのだと思う。
英国のパブは「居酒屋」と呼んでもさほど違和感がないが、フランスのカフェは少し違う。概して値段は高く、パリでは中ジョッキくらいのビールが七ユーロ(約一一七〇円)くらいするのが普通。何杯も飲んで、酔いを購うような場所ではない。
しかし、カフェはこれでいいのだろう。多くの客は野外のテラス席で、ビールやワイン、コーヒーなどをゆっくり飲みながら、読書をしたり、ぼんやり外を眺めたり、あるいは仲間や恋人とのひとときを楽しんでいる。たいていのカフェは、広場や街路など都市の公的な空間に接していて、人はここでパリの空気を肌で感じ、あるいは大都市のなかの孤独にひたることができる。
七月十三日には、近所の広場に面したカフェで、革命記念日の前夜を祝う市民たちを眺めながらビールを飲んだ。音楽の演奏に合わせ、若者からお年寄りまでが、それぞれのペースで踊っている。これを取り囲むカフェも超満員で、広場全体がお祭りムード。翌日には時代錯誤の軍事パレードが行われ、観光客が群がるシャンゼリゼ通りを戦車が走ったが、普通の市民たちはこういう祝い方をしていたのである。
そろそろ日本の居酒屋が恋しい。パブでは極上のビールが飲めるが、料理の種類が少なく、しかも分量ばかり多いから一皿食べるのがやっと。カフェには、何ともいえない居心地のよさがあるけれど、酒そのものを楽しむ場所ではない。
これに対して日本の居酒屋は、刺身や焼き物、煮物にやきとりなど、多彩な料理を一人用の小さな器で出し、酒もいろいろ楽しめる。パブやカフェに比べると、いかにも安っぽい建物、粗末な内装であることが多いのは欠点だが、店を選べば勝るとも劣らない雰囲気にひたることもできる。
あなたも、日本の居酒屋を見直してみませんか。手始めにまず、拙著のご一読を。居酒屋について書かれた本は多いけれど、本邦初の「居酒屋学」と自負しております。


居酒屋ほろ酔い考現学

居酒屋ほろ酔い考現学