橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

板橋「北海」

classingkenji2008-04-07

板橋区の南端、北区・豊島区との区界あたりには、都営三田線の新板橋、JR埼京線の板橋、東武東上線の下板橋という三つの駅がある(ただし、下板橋駅の所在地は豊島区)。一九六〇年代まで城北・埼玉方面へ向かうバスのターミナル駅でもあった板橋駅前には、飲食店街が広がっている。近くを通る中山道の向こう側には急な下り坂があり、降りたところには下町が広がっている。下町派女優・倍賞千恵子の実家があった、北区滝野川である。池袋にも近く、目の前にはサンシャイン60がそびえ立つ。
魅力的な居酒屋が何軒かあるが、今日行ったのは、「北海」。古い大きな看板に「大衆酒場 北海」とあるのが目印。そもそも看板やのれんに「大衆酒場」と大書された居酒屋が多いのは、下町の特徴である。最近では、便乗して「大衆酒場」を名乗るチェーン居酒屋が都心に出現しているけれど、もともとは下町の伝統で、イラストレーター兼居酒屋ライターの吉田類などは、これを「下町の民間伝承」と呼んでいる。ところが板橋駅周辺には、大衆酒場を名乗る店が何軒かあり、この店はその代表格である。
のれんをくぐって店内に入ると、右側に八席ほどのカウンターがあり、左側には大小のテーブル席、奥には座敷。くたびれた内装の何の変哲もない居酒屋で、場末にあるちょっと大きめの食堂のような雰囲気である。人によってはどこがいいのかと思われるかもしれない。実際、特筆すべき名店というわけでも、他に例がないユニークな店というわけでもない。しかし、戦後生まれた大衆的な居酒屋というものの典型が、ここにあるように思う。
壁面に所狭しと並べられた料理メニューの先頭には串焼きが掲げられ、焼きとり、もつ焼き、れば焼、つくねなどが並び、そのあとに何十種類もの魚貝料理と居酒屋料理が並ぶ。さらに黒板をみると、その日お勧めの刺身類が一〇種類ほどあり、いずれも四五〇円程度と安い。酒のメニューを見ると、ビール、日本酒、生酒、焼酎、地酒、オールド・角・ホワイト、デンキブラン、ホイス、ホッピー、ワイン、酎ハイ、サワー類が十数種類、カシス系のカクテル数種類、梅酒・あんず酒などの果実酒といった具合で、何でもありだ。東京の東でも西でもなく、近くにはオフィスビルと工場があり、また埼玉や城北の各地からの通勤客が行き来する。こういう立地では、すべての人の要求に応える必要がある。自然に、メニューが節操もなく拡大してきたのではあるまいか。
 客層も、多様である。スーツにネクタイ姿のサラリーマン、工場か工務店と思われる職場のグループ、夫婦や家族連れ、先生を囲む学生たちのグループ、フリーターらしき若者のグループなど。だからこの店に来ると、日本の社会の縮図を見たような気になってくる。(2008.4.2)

板橋区板橋1-19-3
17:00〜24:00