橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

神保町「やきとり屋」

classingkenji2008-03-27

今日は、政策分析ネットワークという団体が主催する「政策メッセ」の、「格差と地域格差」というセッションに出席するため、駿河台の明治大学へ。パネリストは私の他、新潟大学の田村秀さん、中央大学(四月一日付で東京学芸大学から異動)の山田昌弘さん、朝日新聞竹信三恵子さん。政府も、また野党の一部にも、地域間格差の問題ばかり強調して、個人間の格差を軽視するような傾向があるが、個人間の格差も重要だという点では、四人が一致。その上で私は、個人間の格差も地域間の格差も、階級間格差の拡大の結果として拡大してきたのではないかというようなお話をした。都道府県別にジニ係数の変化とパート比率を計算し、二つをグラフにプロットすると、正の相関が現れるなどの分析も披露。まあ、論文にするほどのものではないが。
懇親会は三〇分ほどでおいとまし、三省堂裏の「やきとり屋」へ。前回は生ホッピー目当てだったが、今回は別の目的があった。気になることがあって、確かめに行ったのである。詩人の草野心平は、一九三一年から三二年にかけて、屋台のやきとり屋をやっていたことがある。出していたのは主に豚のモツだが、鶏の内臓も出していた。その様子を描いたのが、つぎの一文である。

鳴子坂に一軒ちょっとした鳥屋があったが、その臓物は特約の犬屋に鳥屋の方でいくらか払って処分してもらう。どういうキッカケからだったか忘れたが、そのおすそ分けみたいなかたちで私は毎日バケツ二つを両手にぶら下げて鳴子坂から十二社まで鳥の臓物を運ぶことになった。臓物といってもそれはキレイになっているのではなく、鶏冠から足、翅や内臓のぐちゃぐちゃ類がぎっちりほうり込んであるバケツなのでかなり重い。……。やきとりとして出すのは腸で、そのとぐろ巻きを俎にのっけ、それを手でひきのばして刺身包丁でちょん切り黄色いフンをしぼり出す。もう一方をちょん切ってはまた黄色いフンをしぼり出す。それが終わってざるの中に重なったそのくにゃくにゃを水洗いして釜でゆで、ゆで上がったのをまた水洗いして、適当に切って串に刺す。(『わが青春の記』)

この腸を使ったやきとりとはいかなるものか。この神保町の「やきとり屋」ならありそうな気がしたのである。やっぱり、あった。「ふんどし(小腸)」として売られているのが、この右側の白っぽい串である(ちなみに左は背肝)。管状ではなく、レバーの木理を粗くしたような食感。おそらくは、何十羽分かの小腸を集めて蒸し、切ってから串に刺したため、原形をとどめていないものと思われる。草野心平の出していたものがどのような形のものだったのか、依然として不明である。(2008.3.22)

やきとり屋
千代田区神田神保町1-25
17:00〜23:30 日祝休