「樽平」
かつてよく通っていた店に、「山形の酒蔵」があった。銀座の松屋通りから細い路地に入ったところの地下にあり、階段を下りて店内に入ると、まるで山形の小さな街の古い居酒屋にワープしたかのような錯覚を覚える、すばらしい居酒屋だった。名前の通り、山形の地酒と郷土料理を出す居酒屋で、酒は「樽平」「住吉」。料理は春は山菜、夏はだだちゃ豆、秋は菊の花、冬は芋煮会鍋など、四季折々。その他の居酒屋料理も美味しかった。値段も銀座の中心部としては安く、庶民が気軽に入れる銀座の居酒屋として貴重な存在だったが、残念ながら二〇〇五年の夏に閉店してしまった。銀座のいい居酒屋で、この十数年の間に閉店したところは多いけれど、この店がなくなった時ほど落胆したことはなかった。
しかし幸いなことに、銀座には山形の郷土料理を出す素晴らしい居酒屋が、もう一軒残されている。それは、銀座八丁目の「樽平」である。銀座中央通りから一本だけ有楽町側に入った通りをすずらん通りというが、この同じ通りの八丁目の部分は、金春通りという。この通りから細い路地に入り、ほんの少し歩くと、何ともいえないたたずまいの一軒家が現れる。もちろんビルの谷間で、前後左右をビルに囲まれている。よくこんな建物が残っているものだ。山形の銘醸・樽平酒造の直営店で、銀座六丁目で開店したのは何と一九三一年。現在の場所に移ったのは一九五二年だが、この建物も戦前のものだという。小さいながらも、「ライオン」の向こうを張っているわけだ。全国から人が集まってくる東京のこと、各地の郷土料理で酒を飲ませる店は居酒屋の一大ジャンルといっていいが、その草分けということができる。
入り口には縄のれんがかかり、戸をがらりと開けると正面がカウンターで、手前に大小の白木のテーブルがある。それは何十年もの時間だけが作ることのできる、円熟した空間である。二階もあって、団体で予約してあったり、二人以上で来て一階が満員の時には通されるが、これがまた下町の古い家の二階のようで、居心地が良い。値段などは前回を参照。少し高めだが、その価値はある。(2008.2.25)
樽平 中央区銀座8丁目7-9 17:00〜23:00 日祝休