橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「升亀」

classingkenji2008-02-08

JRの神田駅周辺は、あまり行かない場所だ。新橋と並んでサラリーマンの集まる場所であり、居酒屋が多いことは分かっているのだが、ついでの用事というものがないので、なかなか足を運ぶことがない。新橋から神田にかけての山手線のガードは、戦前の赤煉瓦のガードがほぼそのまま残っていて、それだけでも都市遺跡としての価値があるが、しかもそこに無数の居酒屋が連なっているのだから、一度は本格的に探索してみたいところである。今日は本郷まで行く用事があったので、ついでに少し足を伸ばし、下調べに出かけることにした次第。まずは、名高い大衆酒場「升亀」。土曜日だというのに、ほとんど満席で、少し待ってようやく入ることができた。店内にはいると、まず目の前にあるのが一〇席ほどの囲い型カウンターで、その向こうにテーブル席が並ぶ。 四人掛けから八人掛けのテーブルが、一二卓ほどあるだろうか。壁には細長い提灯がずらりと掛けられていて、「升亀特選 げそ天 いか天」とある。今日は土曜サービスで、いつもは二九〇円のげそ天が一〇〇円とのこと。注文しない手はない。その他のメニューも、概して安い。アジフライが四枚で四〇〇円、串カツが三八〇円、刺身は五〇〇円からで、大きな盛り合わせ(二〇〇〇円)を注文しているグループ客も多い。ビールはサッポロで、大瓶が四六〇円、中ジョッキが五五〇円。酎ハイは二八〇円、レモンサワーは三三〇円、ホッピーセットは三八〇円。ホッピーは、ジョッキに氷を入れる普通のスタイルである。
土曜日だから、サラリーマン一色ではない。数えてみると、スーツにネクタイの男性客は、私の席から確認できた三五人中六人ほどで、女性は七人。年代はさまざまで、学生らしいグループもいる。土曜日だから、サークルの練習の帰りに寄るのにちょうど良い。席は、ほぼ満席の状態が続いている。入れずにあきらめて帰るグループも出始め、そのたびに店の人は恐縮して頭を下げている。ちょうど私の席の両側が空いたと思ったら、二人客が入ってきて、店の主人に「満員で……」と断られそうになった。「ここ入れるよ」と声を掛け、右に詰めて席を作る。普通なら「そこ詰めてください」とでもいわれそうなものだが、主人にすごく感謝され、何度も礼を言われた上に、サービスだと言って大根漬けまでもってきてくれた。こんな繁盛店だと、店の側も傲慢になる場合が少なくないものだが、ここは違う。大きな店なのに、客に気を配り、それが居心地の良さを生み出している。
料理はげそ天・いか天などの揚げ物、刺身と煮物が中心。やきとりは、若鶏焼き鳥(四本四二〇円)のみ。焼き鳥といえば、たれを付けて焼き、七味や山椒を添えて出すというスタイルの居酒屋は少なくない。たとえば自由が丘の「金田」もそうだし、神田「みますや」もそうだ。つまり、手を掛けた料理の一種としての焼き鳥であり、魚の照り焼きなどと同列のメニューである。こういう居酒屋を見ると、いわゆる居酒屋とやきとり屋が、それぞれ別の伝統に属しているということがよく分かる。(2008.2.2)