橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

金沢「黒百合」

classingkenji2008-01-04

これは金沢の駅ビルにあり、長年にわたって市民や金沢をよく訪れる旅人たちに愛されてきた名店である。駅ビルが建て替えられる前は地下街にある小さな店だったが、地上に移転してずいぶん広くなった。しかし、一人客を大切にするカウンター中心の店の雰囲気は、あまり変わっていない。金沢へ来たときは、どうしても都合がつかない場合を除き、必ず寄ることにしている店である。「萬歳楽」と大書された看板からも分かるように、金沢近郊・鶴来の銘酒のひとつ、萬歳楽がメインの酒で、一合三一〇円の普通酒から一五〇〇円の大吟醸までを置くが、いずれも店で買うときの二倍足らずの値段で出しているから、良心的である。とくにお勧めは、いちばん安い吟醸である「菊のしずく」(五六〇円)。この店に来たら、この銘酒と金沢の味覚の数々の相性を楽しもう。メニューはもちろん季節によって変わるが、冬の時期ならば香箱蟹(一二〇〇円)がいちばんだ。要するにズワイガニの雌で、この季節にはオレンジ色の内子をたっぷり抱えていて、その味わいは芳醇かつ玄妙。体が小さいから脚肉が少なく食べにくいせいで、金沢以外では料理屋などで出されることは少ないが、私はあらゆる蟹の中でこれがいちばん好きだ。かぶら寿司(六八〇円)、大根寿司(四八〇円)もこの時期に欠かせない味覚。四季を通じてあるものでは、どじょうの蒲焼き(一本一六〇円)、岩魚の洗い(九五〇円)もいい。五時過ぎから一時間ばかりいたが、客の回転は速い。大きなコの字型カウンターを、最初はジャンパーやダウンを着たご隠居さん風や自営業者風が囲んでいたものが、しだいにスーツにネクタイ姿が増えていく。駅ビルだから、勘定を頼んで一〇分もあれば列車に乗ることができる。昼はランチがあり、夜まで休み無しで営業している。どんなに忙しい出張でも、ここを知っていれば金沢の味に出会えるはずだ。(2007.12.25)