橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「たそがれ酒場」(内田吐夢監督 1955年 新東宝)

classingkenji2007-04-26

一つの大衆酒場の開店から閉店までを舞台に、そこで繰り広げられる多彩な人間模様を描いた作品。カメラは、酒場の内部から一度も外に出ることがない。いくつもの短いストーリーが並行して展開されるが、主役級といえるのは、絵を通じて戦争に加担した責任を感じ筆を折った老画家(小杉勇)と、弟子に裏切られてすべてを失い、いまは酒場でピアノを弾く老音楽家(小野比呂志)。その周囲で、酒場で働く一人の娘とその恋人、娘をつけねらう愚連隊の三角関係、競輪でもうけ得意顔で現れた男と戦地での上官の再会、ビールを飲みながら哲学を論じる先生と学生たち、唯物論を論じデモを批判する観念左翼たちなどが、それぞれに描かれる。限られた空間を最大限に生かしており、考え抜かれた構成である。
さて舞台の大衆酒場だが、かなり大きな木造の建物の二階で、木製のテーブルが二〇以上もある。椅子は、木製の丸椅子で、北千住の「大はし」にものに似ている。一段高くなったところにステージがあり、ここで歌手が歌ったり、客がピアニストの伴奏で歌ったり、レコードが演奏されたりする。ショータイムにはストリッパーまでが現れる。「うたごえ酒場」と呼ばれたものの一つだと思うが、こんなスタイルが、どれほど一般的だったのかはわからない。しかし、天井から下がっている飾りとステージさえなければ、たとえば三州屋や升本を大きくしたような普通の大衆酒場の雰囲気である。実在の酒場ではなく、美術を担当した伊藤寿一の作品だが、きわめてリアルに描かれているところをみると、おそらくモデルが存在したのだろう。
店内のあちこちに、メニューが貼られている。写真は開店直前の場面で、椅子がテーブルの上に逆さまに置かれている様子と、壁のメニューが写っている。ビールはニッポンビール(現在のサッポロビール)で、大生が一二〇円、中生が七〇円。日本酒は力正宗で、特級一〇〇円、一級八〇円、二級五〇円。焼酎は大コップ五〇円、並コップ三五円。料理は、れば、やきとり、バタピー、お新香が一〇円、ベーコン、チーズが二〇円、鯨みそ、卵、冷や奴、湯豆腐、ウニ、かき酢、こはだが三〇円、ソーセージが四〇円、山かけ、とんかつが五〇円など。いかにも、大衆酒場のメニューである。値段は、料理に比べて酒が高いという感じがする。格安大衆酒場の値段だと考えて現在と比べれば、酒は五分の一、料理は十分の一から十五分の一といったところだろうか。
一九五〇年代の大衆酒場の様子を垣間見ることのできる、貴重な作品。居酒屋好きなら、必見である。

たそがれ酒場 [DVD]

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