橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「みますや」

classingkenji2007-04-11

二軒目に向かったのは、やはり「みますや」。
今日は金曜日の夜だけに、仕事を終えたサラリーマンの比率が高い。連れられてきた同僚女性たちを含めれば、会社帰りの人々でほぼ占拠されている趣である。この店で、神田の古い居酒屋の情緒を味わいたいというなら、土曜日に来た方が良いかもしれない。土曜日なら、地元のお年寄りや酒飲みなどが、一人で、あるいは少人数でしみじみ飲んでいることが多いから。また、行くならやはり早い時間のほうがいい。ほぼ満員の今日、通されたのは前回と同じ右奥のテーブル席だが、ここは素っ気ない作りで情緒に欠ける。
今日いただいたのは、さくら刺(一三〇〇円)、どぜう丸煮(六〇〇円・写真)など。この店のさくら刺しは、冷凍しない本当の生。もっとも馬刺の場合、冷凍が美味しくないとは必ずしも言えないが、この店のものは格別。生肉をスライスしたことが一目で分かる、なめまかしい色つやがいい。
ここから五〇〇メートルほどの猿楽町には、酒問屋の豊島屋がある。豊島屋の創業は慶長元年(一五九六)で、最盛期には店先で豆腐の田楽を焼き、酒を供して人々を集め、売り上げは一日四石から八石にも上ったという。その繁昌の様子は『江戸名所図会』にも残されているが、荷商人仲間、船頭から日雇に乞食まで集まったというから、極めて大衆的、あるいは懐の深い酒場だったことになる。豊島屋は残念ながら、現在では酒販のみだが、その文化が「みますや」には受け継がれているのだと考えたい。(2007.4.6)