橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「やきとり」とは何か?

今朝の朝日新聞(東京版)に、作家の江上剛さんが「焼きトン」と題する一文を書いている。その冒頭部分はというと・・・・。

長年の疑問が氷解した。どんな疑問かというと「焼きトンをなぜ焼き鳥というのか」という疑問だ。その答えは「鳥ばかりでなく肉を串に刺して焼く食べ物が焼き鳥」というものだった。疑問を解いてくださったのは焼き鳥の超人気店「鳥茂」さん。

こんな答えで氷解した気になってもらっては困る。だとすれば、次には当然「なぜ鳥でないものを焼いても焼き鳥というようになったのか」が問題になるからである。この点については、以前紹介した佐々木道雄『焼肉の文化史』に登場願うしかない。これによると、経緯は次の通りである。
明治の終わり、肉食が庶民にまで普及した頃、鶏肉は牛肉より高い高級品だった。そんななか、牛豚の内臓を焼き「焼き鳥」と称して売る店が現れるが、これは高級なものの名を借りて安価なものを売る商法だった。偽りだとの指摘もあったが、高級イメージのある焼き鳥の名は捨てられず、これが今日にまで受け継がれた。現在では広辞苑をはじめとしてどの辞書にも、鳥肉を焼いたものとともに牛豚などの内臓を串焼きにしたものにもいう、と説明されている。
これは、新宿やきとり横町の老舗「宝来家」の先代主人、金子正巳さんの回想とも一致する。一九四七年、金子さんは豚の内臓を手に入れ、串焼きにして売り出し好評を博する。最初は「三本一〇円」とだけ表示していたが、「なに、これ?」と聞かれるので「やきとん」と貼りだした。ところが、客が「やきとり」の方がいいというので、「ほんとはトリじゃねえが、みんながああいうんだからいいだろう」と思って「やきとり」に変えたのだという。金子さん自身は明治期から焼きトンを「焼き鳥」として売っていたことはご存じなかったようだが、何人もの客がそういったというのだから、すでに定着した用法だったのだろう。「焼き鳥」ではなく「やきとり」としたところに、辛うじて正直さを残したということだろうか。この話は、やはり以前紹介した金子さんの著書『やきとり屋行進曲』に出てくる。