橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「宝来家」

classingkenji2007-02-21

新宿やきとり横町の老舗。入ったのは、これが三回目くらいだと思う。この店の創業者、金子正巳さんに『やきとり屋行進曲──西新宿物語』という著書がある。九死に一生を得て中国から復員し、妻子を養うため新宿西口のヤミ市でやきとり屋を始めてから、一九八〇年代に至るまでの波瀾万丈の物語で、「やきとり屋という名の飲み屋」の草分けとしての貴重な証言である。最初に店を開いたのは思い出横町で、この場所には現在、鉄板でホルモンを焼いて食べさせる店がある。今日行ったのは、やきとんの店で「第二宝来家」と称する。
現在店に立っているのは、お嬢さんの美栄さんと、その息子さん二人、そして若い店員たち。美栄さんはもう六〇代の半ばかと思うが、若々しく、そして暖かく客に接してくれる。今日は、本の話はしなかった。何回か通って顔を覚えてくれたら、いろいろ話を聞いてみたいと思う。サッポロラガーの大瓶が五四〇円、サワー類三二〇円、やきとんは一一〇円と、このあたりの店としては安い。五〇年もの間継ぎ足し継ぎ足し使って、もつの味がたっぷり溶け込んだたれやきが、実に美味しい。レバ刺し、ハツ刺し、センマイ刺しなどの刺身類も豊富。創業者ご自慢のポテトサラダも美味しい。
今日は五時過ぎと早めに入ったせいか、サラリーマンが少ない。カジュアル姿の四〇代男性、六〇代男性、スーツにネクタイ姿の四〇代男性、スーツにネクタイ姿とカジュアルの三〇代男性二人組。このあたり、外国人向けのガイドブックによく掲載されているらしく、外国人客が多い。二〇代の中国人四人組がやってきて、ちょっと難色を示す店の人と二言三言交わした後で、奥のテーブルに通された。しかし次に入ってきたフランス人らしい二〇代女性は、「日本語?」と聞かれて首を横に振ると、やんわり入店を断られた。注文に手間取る外人客が増えるのは、店にとってあまり好ましいことではないのだろう。しかし、日本人の一見客に冷たい店ではない。
やきとり横町の南側にも、一九六〇年ごろまでは同じような古い飲食店街があり、創業者の金子さんもここで店を経営していた。ところが、もともとはヤミ市を仕切っていた安田組が不法占拠した土地だったため、地権者である営団地下鉄の立ち退き要求をはねのけることができず、妥協の末、現在の西口会館(パレットビル)が作られたという。この教訓から、やきとり横町・思い出横町の土地は個人名義に切り替え、それぞれが安心して商売できるようにしたのだとのこと。この愛すべき飲み屋街は、こうした人々の努力によって守られてきたわけである。
『やきとり屋行進曲』は残念ながら品切れ・絶版だが、宝来家のホームページ(http://horaiya.com/)でその大部分を読むことができる。(2007.2.21)