橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

「養老乃瀧」練馬南口店

今日は、科学研究費を使った調査のための調査票の発送作業だった。一七〇〇通ほどの郵便を出し終え、練馬郵便局に受取人払い封筒の見本を提出して、今日の作業は終了。重労働のあとだから、当然、ビールで喉を潤したいところなのだが、まだ四時半。練馬といえばもつ焼きの名店「金ちゃん」があるのだが、開店はまだ。今日は早く帰らなければならないので、別の店を探すことにする。近所を歩いてみると、六時三〇分までサッポロ生ビール大四二〇円、中三〇〇円という文字が目に入る。よし、ここにしようというわけで入ったのが、もう何年ぶりだかわからない「養老乃瀧」である。
養老乃瀧は、昔からサッポロビールだ。以前は、デザインはサッポロ黒ラベルにそっくりなのに、よく見るとYORO BEERと書いてあるというボトルだったが、今は普通の黒ラベルになっている(これは店によって違うらしい)。しかし今日は、ともかく生だ。ジョッキを大、グラスを中と表示するような店とは違い、正真正銘の大ジョッキ。適温で、この手の店としては注ぎ方も悪くはない。レバ刺し四〇〇円は味も鮮度もよく、ビールに合う。
私以外の客は四人で、いずれも六〇代男性。二人組と、一人客二人である。服装もほとんど同じで、地味な色のズボンに、やはり地味な色の使い古したドレスシャツ。そして三人は大ジョッキ、一人はホッピーを飲んでいる。先日の「金田」とは社会階層が違うが、近所のご隠居さんの楽園という趣で、早い時間帯の大衆酒場ではよく見る光景だ。
この店も、経営は決して楽ではあるまい。ビールがこの値段で儲かるわけはない。黒板に書かれたおすすめメニューにはいくつかの刺身があり、冷蔵ケースを見た限りでは、新鮮そうで食欲をそそる。しかしその他のメニューは旧態依然としていて、安くて意欲的なメニューを展開する居酒屋チェーンが増えた現在、魅力に欠けるのは否めない。しかし、このご隠居さんのたまり場的雰囲気は、若者をターゲットとしたチェーン店にはないものである。
四〇分ほどで店を出ると、すぐそばの「金ちゃん」のカウンターは、もう満員になりかけていた。一瞬迷ったが、予定通り帰ることにした。職場のすぐそばでもある。また今度の楽しみにしておこう。(2006.9.1訪問)