橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

自由が丘「金田」

classingkenji2006-08-26

名店との評価が高く、「金田酒学校」の異名をとる。もう十数年前から行ってみたいと思っていたのだが、今日ようやく、自由が丘の古書店に用事ができたついでに、立ち寄ることができた。白地に「金田」と名が小さく入った上品なのれんをくぐり、すりガラスの入った二重の引き戸を空けて店内にはいると、コの字型のカウンターが二つ。カウンターの上には、手書きの日替わりメニューがコピーされ、二つ折りにして置かれている。まずサッポロラガーを頼み、渇いた喉を潤したあと、お通しの小さな冷や奴をつつきながら、メニューを見る。いちばん高いのは鱧落としや白身魚ワタリガニなどの一六〇〇円で、安いのは野菜料理のたぐいで四〇〇円ほど。質のよい割烹のようなメニューが並ぶ。とりあえず、子鮎の天ぷらをいただくことにする。
カウンターに座っている客のほとんどは、六〇代から七〇代の隠居風の男性で、品のいいカジュアル姿か、ノーネクタイのスーツ姿。隣に座っていたのは、長い白髪を束ねた芸術家風の七〇代男性。近所のご隠居さんの楽園といった趣である。いつものようにわざわざ、客の年齢や服装を細かく記録するような必要はなさそうだ。私よりやや若い、居酒屋好き風の男性も一人いるが、むしろ例外に近い。六時を回った頃から、仕事帰りのグループ客が来るようになったが、これらはみんな二階に案内される。一階は一人客か二人客ばかりで、静かに酒を飲むか、穏やかに談笑している。酒と料理を楽しむには、たいへんよい雰囲気である。
二本目のビールを頼み若鶏の焼き鳥を二本焼いてもらう。焼鳥屋のではなく割烹風の、タレをよく絡めて焼き上げたもの。これはこれで悪くない。最後は日本酒をもらい、小鰭の新子の酢の物をいただく。この間、約一時間半。
確かに品のいい居酒屋で、料理はとくに素晴らしい。酒は普通だが、カウンターの並びの客が旨いとしきりに感心していた、菊正宗の焼酎の一合瓶は、今度来たときぜひ試してみたい。
ただし、名店との評価を頭に詰め込んで、あまりに理想化して訪れると、少々拍子抜けするかもしれない。カウンターの上には、パッケージのままのティッシュの箱がいくつも置かれ、反対側カウンターの内側には、ポールペンや貼り薬が乱雑に置かれているのが見える。主人は穏やかな中に芯の強さを感じさせる、いかにも名店の主だが、その連れ合いと思われる女性は、ちょっと落ち着きに欠け、注文も聞き間違える。しかし、こんなところが気にかかったのも世評のあまりの高さのゆえで、先入観なしに入れば間違いなく名店である。
余談を一つ。久しぶりに乗った東急線だが、車内の路線図がたいへんわかりにくい。なぜかというと、東京が左下、横浜が右上になっていて、普通の地図と南北が逆なのである。おそらくこれが、東急という会社の世界観なのであり、そして沿線住民もそのなかで生きているのだろう。今度はぜひ、おなじ発想で日本地図、いや世界地図まで作ってほしいものである。(2006.8.25訪問)