橋本健二の居酒屋考現学

居酒屋めぐりは私の趣味だが、同時にフィールドワークでもある。格差が拡大し、階級社会としての性格を強める日本社会の現状を、居酒屋に視座を据えて考えていきたい。日々の読書・音楽鑑賞の記録は、「橋本健二の読書&音楽日記」で公開中。社会学専攻、早稲田大学人間科学学術院教授。

下北沢「楽味」

集中講義の三日目は、根津の駅から小田急線直通に乗り、下北沢へ。地上はあいかわらず若者たちでごった返しているが、地下へ降りると別世界のような大人の空間。本格的な板前割烹の店として太田和彦も絶賛する、「楽味」である。
店はほぼ満員で、ちょうど出てきた男性客と入れ替わりでカウンターに座ることができた。入って右側がカウンターだが、その一部が奥の方に大きく突き出し、テーブルのように向かい合って座れるようになっている。左側にはテーブル席。客の平均年齢は高く、むしろ私など若輩者の方だ。まずは生ビール(サッポロ)を。走りのサンマ刺しを注文しようとしたら、あいにく売り切れとのこと。代わりに大振りの鰯刺しを薦められ、少し迷ったが、店主の提案どおり、鰯刺しと鰺刺しを半人前ずつの盛り合わせでもらうことにした。なかなか気が利いている。酒は麒麟山、萬寿鏡、銀盤など。狭い店内は、簡単に見渡すことができる。
今日の客は、五組、一二人である。そのうち女性が八人で、三分の二を占める。比率を引き上げているのは、盛り上がっているおしゃれな六〇代女性四人組。盛り合わせで頼んだ天ぷらの数が四で割り切れないらしく、屈託なく笑いながら、じゃんけんを繰り返している。やはり気がついた店主と、顔を見合わせて「女の子みたいだね」と笑う。他には、おしゃれなカジュアルを着こなした五〇代の芸術家風の夫婦。店主から「先生」と呼ばれている、見るからに作家風の六〇代男性も、やはり妻らしい女性とカウンターに並んで座っている。スーツにネクタイ姿は一人だけで、ブランド系外出着とおしゃれなカジュアルが大部分。全体に、山の手高級住宅地の雰囲気に満ちている。
蓮根饅頭は上品な味付け。締めに食べた鯖鮨は絶品。勘定はリーズナブル。私の柄とはちょっと違うが、名店であることは間違いない。(2006.7.28訪問)