「千住の永見」
もつ煮込みとぬたを肴にビール2本を飲んで、「大はし」を出る。次に向かったのは、やはり北千住駅西口から左に入る飲食店街の入り口近くにある「千住の永見」。知名度はさほどではないが、やはり北千住を代表する大衆酒場である。「大はし」のように行列こそできないが、ふだんはほぼ満員のこの店で空席が目立つというのは、やはりワールドカップのせいだろう。後から入ってきた客が店員に、「今日は空いてるねぇ、サッカーあるからかな」と話しかけている。この店の名物は、白身魚のすり身に玉葱をたっぷり加えてふんわり揚げた「千寿揚げ」。地酒も十数種類揃え、酒のメニューは充実しているが、ここで飲みたいのは、サッポロラガー、そしておなじみ下町風のハイボールである。ビールを飲みながら観察開始。
客は全部で一一組、一八人だが、男性が一七人と圧倒的に多い。しかも一二人までがスーツにネクタイ姿で、銀座ライオン以上のシェアである。一一組中七組までが一人客というのも特徴的だ。もっとも、この店はカウンターよりもテーブル席の方が広く、ふだんはもう少しグループ客が多いような気もする。考えてみれば、飲み仲間何人かのうち一人でも「今日はサッカーがあるから帰る」と言い出せば、飲み会が成立しない可能性が高い。こんな日はグループ客が減るのかもしれない。
服装から判断すれば新中間階級男性の居酒屋ということになるが、当然ながらエリートらしさはなく、くつろいだ雰囲気である。この店について太田和彦は、こんな風に書いている。
ひとり客も談論風発のグループもここではまったく気取りなく、裸の自分になって放心し、語り、下町大衆酒場の安心感が店いっぱいにひろがる。
「あの人は東大法学部にあぐらをかいたんだよ」
「おごれる者、久しからずか」
隣の二人は社内批判のようだ。(中略)
カウンターの端に、優しくおとなしいゆえに、あまり出世しなかった感じの中年がひとり、俺はここでいいやと、いかにも満足げにチューハイを飲んでいる。何かひと声かけたくなった。(『ひとりで、居酒屋の旅へ』晶文社、四五頁)
私の印象も、ほぼ同じだ。ここは新中間階級下層の男性が、酒を楽しみにやってくる店なのである。